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231010-231014

「文学フリマ東京37」に出店いたします

 お世話になっております。東京でバナナの研究をしているバナナ倶楽部と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 わたしたちは「文学フリマ東京37」に出店予定なのですが、執筆が思うように進んでおりません。こちらのnoteでは、気を引き締めるという意味も込めて、文フリ当日までのわたしたちの活動記録を不定期の日記形式で投稿していければと思います。

 なお、バナナ倶楽部ではいつでも皆様の寄稿をお待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。

23/10/10

 朝起きたときから頭が重い感じがしたのだけれど、経験上こういうときは会社に行ってしまえばなんてことはないので行って、しかし会社に着いて以降もどんよりとした感じは拭えないどころかむしろ次第に増し、昼過ぎにピークを迎え、早退も視野に入れつつあまり頭を動かさないように仕事していたところ、どういうわけか夕方頃から頭痛は引いていって、夜にはばっちり明瞭な頭脳を手に入れることができた。せっかく明瞭な頭脳を手に入れたのだから文フリに向けての原稿を書こうと考えた。掌編といったっていろんな長さや文体や展開を持ったものがある。リディア・デイヴィス的な超短編を書くのもおもしろそうだし、乗代雄介がブログにアップしているようなくだらないようできらめきのある掌編を書くのもよさそうだとあれこれ考えたが、最終的には特になにも考えないままに「バナナを食べなさいと世間もお母さんもいうけれど、朝起きてすぐに丸一本なんて食べられないよ!」と少年が語り始めるスタイルで始めてみてとりあえず二千字書いた。難しいことは考えずに書いてみたほうがいい。会社はとりあえず行ったほうがいいし、文章はとりあえず書いたほうがいい。豆が腐って変なにおいを発していても、とりあえず食べてみたほうがいい。きっと納豆もそんなふうに見つかった。数々の〝とりあえず〟が人類を推し進めてきたのだ。

23/10/14

 昨日は同居人が飲み会から友だちを連れ帰ってきてそのままうちに泊まったため、今朝は三人でパンを食べに行った。秋の朝はよい。気分もよろしくなって、スフィアン・スティーヴンスの新譜のLPを買いに行くのはどうかと同居人に提案したところ、内心どうだったかはわからないが少なくとも表向きは賛成してくれて、僕たちはそのまま渋谷に行った。スクランブル交差点に面するあの三千里薬品の上のマグネットという商業施設では、同居人が幼き頃に見ていたという『ぴちぴちピッチ』というアニメの二十周年記念かなんかのポップアップショップが開催されていて、その告知ポスターが道路に面する形で掲示されているのを見つけた同居人がそのままマグネットに吸い込まれていったので僕もついていった。僕は『ぴちぴちピッチ』のことを知らなかったのだが、ポップアップショップのグッズ展開の雰囲気と同居人の断片的な説明から察するに、どうも七つの海を舞台に、少女たちが人魚に変身しつつ、歌声を響かせる物語らしい。歌声を響かせてなにをするのかはわからなかった。『セーラームーン』にも『プリキュア』にも悪役が存在するので、もしかすると『ぴちぴちピッチ』にも悪の人魚、あるいはもっと直截的に潜水艦とか巨大艦隊とかが存在し、歌声で倒すのかもしれない。
 その後タワレコに行って無事にスフィアン・スティーヴンスさんのLPを購入した。いったん帰って買ったLPを流してから、恵比寿ガーデンシネマに『ギルバート・グレイプ』を観に行った。『ギルバート・グレイプ』はいかにも八十年代後半~九十年代前半くらいのアメリカ映画っぽいルックの素晴らしい映画で、ややもっさりした音楽とともに暗転して場面転換していく作りが一周回って非常に心地よいうえに、アメリカの田舎のどこにも行けない感じが、ちょうど同時代くらいのケリー・ライカート『リバー・オブ・グラス』とはまったく異なるテイストで描き出されていて、なんともじんわり来た。主人公家族の造形にそこはかとなくジョン・アーヴィングっぽい雰囲気を感じたのだが原作は違うひとのようで、しかし監督のラッセ・ハルストレムはジョン・アーヴィング原作の『サイダーハウス・ルール』も監督しているそうなので、近からずも遠からずという感じかもしれない。
 夕方にはまた違う同居人の友だちが来て少し飲んだあと、早めに家に帰ってだらだらし、その後文フリの原稿と日記を並行して進めている。『ギルバート・グレイプ』のなにげない日常描写のよさと、物語の着地の思いがけなさを、文フリの原稿にも取り入れられたらうれしいと思っている。

十月も残り半分。はたして僕たちバナナ倶楽部は文フリに向けた出稿を間に合わせることができるのでしょうか!

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