中国の話 5

短大在学中、どうしても留学したかった私は
周りが就職活動をする中、何をしていたかと言うと、留学するために色々情報を集めていました。

どこで知ったのか忘れましたが、
当時、中国への留学希望者に有名だった本、
「愛しき五星ビール」富田和明著
を知りました。
1988年から90年までの留学の記録です。
(なんと、あの天安門事件を経験されている!)
内容は忘れてしまったのですが、かなり参考になった記憶があります。

そして、その作者さんの講演会が中野サンプラザであるとたまたま知り、思い切って上京する事にしました。
講演会あと、物販品のほかにチラシが大量にあり、そこに何社かの留学斡旋会社がありました。
本当かチラシを参考にして、入学申し込みの手続きを始めることにしたのです。

1.北京語言学院へ入学したい旨、手紙を書く
2.入学許可の通知が来る
3.通知を持って、留学斡旋会社を通じてビザ申請。
4.ビザ取得あと、留学斡旋会社にてエアチケット手配。+ホテル一泊

まず、北京語言学院へ留学したい旨、手紙を書く。英文だったか中文だったか、肝心な事を忘れました…両方だったかもしれない。
自力で書いた訳ではなく、例文をもらって書いたような記憶がうっすら。

そして、それを持ってビザを申請するのですが、
中国大使館でしか受け付けていなかったため、
留学斡旋旅行社に手数料を払って頼みました。
自分が上京するよりも、手数料の方が安かったと思います。
あと、自分で手続きする自信が無かったので…

ビザは何種類かあって、確か90年代は日本人は観光目的であれば2週間ノービザで入国出来た気が…
もちろん、往復のエアチケットを購入済みの場合。
それ以上の期間だと、観光ビザが必要だったはず。
仕事で行く場も、職場の証明書が必要で、就労ビザが必要でした。

私が申請したのはXビザと言われる、留学生専用のビザです。出国する際にリターンビザを申請すれば、何回でも入出国が可能でした。
(リターンビザが必要なのは、お金稼ぎですかね)
ただし、日本から初めて中国に入国したあと、必ず現地で正式なXビザの申請が必要でした。

ビザも取れ、エアチケットも準備出来、あとは出発するのみ。
出発は確か1993年3月30日。
とりあえずは短期班と言われる、3ヶ月の期限付きの留学でした。
それが、何故か3年4ヶ月も滞在する事になります。

ちなみに、両親の反応はと言うと、
父は反対、母は賛成でした。
正確には、母は賛成せざるを得なかっただけだと思います。
何故なら、普段はダラダラのんびりしている私が、本気でしかも自分一人で手続きを始めたので、言っても聞かないと分かっていたんだと思います。
一度決めたら絶対譲らない頑固娘だったもので笑

父親はやはり父親と言うか、娘が異国に行ってしまう寂しさでいっぱいだったのでしょう。
でも、最後には折れてくれました。母が説得してくれたのかもしれません。
そして、「外国人の彼氏は連れてこないで欲しい」と明らかに不的確なこと言って来ました。
ええと、わたし、勉強しに行くんだけど…
しかも、わたし、彼氏は欲しいけど、今はまだ未知なる世界に夢を抱いてるんだけど?
って内心呆れてました。
親心ってそんなものなんでしょうね。

とにかく、情に薄い娘はまだ見ぬ中国に胸を高鳴らせて、意気揚々と一路、中華人民共和国 北京へと旅だったのでした。
20才になりたての頃でした。

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