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「空想を具現化する難しさ」2024/08/13

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・「ジブリパークとジブリ展」を訪れた。
最寄りの天王洲アイル駅は未踏の地だったが「アートのある島」を掲げている通り、道端のマンホールや植木の1つ1つに先進的なイラストが描かれていた。

・モノレールに乗らないと行けないような、ごく限られた範囲に商業施設やマンション、オフィスビルが集中している様子が都内では珍しいように感じられて、歩き心地が良かった(東京は人間が歩くには広くなりすぎていると思う)。

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・展覧会の拠点である「寺田倉庫 B&C HALL」は、土地柄もあるかもしれないが美術館のようなかしこまった雰囲気ではなくて、ジブリの自然体っぽい作品が、どこか武骨な館内と調和していて居心地が良かった。

・展覧会の構成は、まず「ゲド戦記」「コクリコ坂から」を用いてジブリ特有の配色や背景について解説。階層を移した2階では、ジブリ初の3DCGアニメ「アーヤと魔女」の制作過程について、かなり詳細な説明があった。
最終的にジブリパークの各エリアについて、制作過程で使用されていた模型を見ながら「千と千尋」のカオナシとの電車風景であったり、湯婆婆の書斎に入ったかのような体験が出来るようになっていた。

・特に印象的だったのは、ジブリパークのコンセプトを決めるうえで、代表者である宮崎吾郎が記したメモ。
写真撮影が不可だったため定かではない(うえに、汲み取った意図が的外れな場合もある)が、ディズニーランドが謳う「夢の国」とは対照的に、ジブリの世界観は「夢のような場所ではない」ため、大衆が思い浮かべるようなテーマパークにはならないと書いており、わたしが想像するジブリパークのイメージがかなり変化した。
しかし、ジブリが救いのない世界かというと決してそうではなく「夢の国ではない(空想の)世界を実体化することが、誰かの救いにもなる」とも記していて、監督でありながら自身の作品群を客観的に見つめ、コンセプトを練る吾郎氏の抱える難しさが伝わってくるようだった。

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・「アーヤと魔女」は、数年前に三鷹の森美術館を訪れた際に偶然視聴する機会があったのだが、ジブリ独自の絵柄が3Dに反映されることに、違和感がないでもなかった。
しかし、2階のほぼ全ての空間を使って制作過程の解説があったことで、3DCGの方がむしろ手間がかかっているのではないか、と思えるほど膨大な人の手が加わっていることが分かった。

・手書きのスケッチをもとにキャラクターを3D化し、ジブリ特有の豊かな表情の動きを再現するために、髪・眉・目・鼻・口それぞれに動作をつける。
主人公アーヤが立ち入る全ての場所を、画角を決めるために全てモデリングする必要があり「全てが必然」の世界を創ることってこんなに難しいんだ、と感じた。

・なかでも手間がかかっていたのが小道具の多さで、魔女の工房の制作スタッフは1年間ずっと工房のモデリングをしていたという。
見ているだけでワクワクするようなスケッチを模型として立体化し、素材が感じられるようにモデルにする。制作過程をわずか数十分で追うだけでも気が遠くなりそうだった。

・ジブリパークの解説エリアでは「リアルっぽいけど、空想」のモノを実体化するという試みに対し、制作陣がどれだけ熱意を傾けているか、半ば執念のようなものが伝わってくるようだった。

・原寸大のモデルが多数展示されており、劇中の小さなシーンでも細部までこだわりを持って作られていることがよく分かったものの、ディズニーやUSJとは違い、ジブリらしい素朴で自然、どこか年月を感じさせるような雰囲気が、いざ実体化するとどこか新しく、クリーンなものになってしまっていて、少し違和感を覚えた。

・それでも、当初抱いていた「ジブリパークを一部再現」といった撮影スペースが単に続いているのではなく、パークの訪問者は知り得ない「ジブリパークの制作過程」に重点を置いた展示法は、制作陣の哲学めいた思想を垣間見ることができたし、ジブリがより好きになった。

・パークのスケッチで印象的だったのは、描かれている来訪者のほぼ全てが家族、全世界の子どもが遊んでいる様子だったことだ。パーク内も車椅子の人の移動に支障がないよう、バリアフリーの工夫をしたいという意思が見えた。
特に、人が通れるような大きな穴が空いている箇所は、わざと「かがんで通れるサイズ」の不自由さをつくる方が、その動き自体が体験価値/思い出になるという「あざとい工夫」も施されていて、この展覧会を訪れた後、ジブリパークから見える景色はぐっと変わるだろうなぁと感じた。


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