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結精師・1

ふわふわと微睡む頭に、ドアを叩く音が飛び込む。
軽く乾いて控えめに、でも確かに、一定のリズムで3回。慌てて返事をすると、扉の向こうから、「お待たせいたしました、応接室までご案内いたします」と、深みのある落ち着いた男性の声がした。ここに案内してくれたこの家の執事だろう。
他に誰もいないのをいいことに捲っていた袖を伸ばし、カフスボタンを留め、襟を整えてリボンも結び直す。ああ、暑い。礼装に長袖しかないのは、はっきり言ってまるで理解できない。とはいえ、こんな悪しき習慣ぶっ壊しましょうと言う勇気もないのだが。

ドアノブに手をかけたところで、壁に鏡がかかっているのに気がついた。一部ぐしゃりと膨らんだ髪を申し訳程度に撫でつけて、多少目立たなくなったところで扉を開ける。あんまり上等な椅子だったものだから、背もたれに目一杯体を預けたせいだろう。
「どうぞこちらへ」
こちらの姿を確認すると、男性は恭しく礼をし、左奥へと促した。8割方白くなった髪を丁寧に後ろに撫で付け、まだ折り目のはっきり残るシャツできびきびと動く、いかにも「執事」という出立ちだ。名前はなんだっけ、バーナードと聴いたはず。もしも話が上手く行けば、今後も十分やりとりがあるだろうから、印象はよくしておかねば。
廊下に2人の靴音だけが反響する。外から見た邸は相当に広そうだったが、ここで待つようにと支持された部屋から応接室まではすぐだった。緊張はゼロではないが、あまりしていない。どうせもう、同業からいくらでもアプローチがあっただろう。自分のところのような、小さくて、実績もさほど多くない工房が、こんな大きな家と契約を結べるとはちょっと考えにくい。やるだけやろう。ひとまずは、師の顔に泥を塗らない程度に。
「ジェイムズ様、お連れしました」
扉そのものにも、取手にも、上品な蔦模様の細工の施されたドアの向こうから、入れ、とよく通る声がした。若い、芯のある声だ。暑さに緩んだ背中を正す。
「失礼いたします」
促されて部屋に入ると、大きな窓を背にして、ひとりの青年が立っていた。ジェイムズ・ローズ卿。国境警備を主な任務とする「緋鷹騎士団」団長を、現在も含めて幾度となく担うローズ家、その現当主の長男だ。各騎士団長は世襲制でないから、ローズ家は頭脳と武術でその身分を勝ち取っていることになる。ジェイムズも例に漏れずで、めきめきと階位を上げていると聞く。
ちょうどこの時期の空に似た青い瞳と、陽射しを閉じ込めたような金色の髪、それでいて、冬の静かな朝みたいな空気で佇んでいる。彼はまだ成人したばかりのはずだ。騎士の家の子は、皆こうなのだろうか。自分が同じ歳の頃はどうだったっけ、少なくとももっと、寝起きに足元に丸まっている毛布みたいだっただろう。いや、あの頃どころかうっかり今も。
そんなことにぼんやりと思い廻らせていると、小さく咳払いが聴こえた。硝子の向こうできらめく緑を背に、ローズ卿が思い切り怪訝な顔をしている。誤魔化し笑いが溢れそうなのをなんとか飲み込み、左胸に手を当てて頭を下げる。師匠ごめんなさい、私もうやらかしたかもしれません。
「お初にお目にかかります。私、アパタイト工房から参りましたスバルと申します。ジェイムズ様におかれましては、ご成人、並びにご婚約誠におめでとうございます」
「……ありがとう」
うんとかはいとか、ほぼただの相槌と同じ温度の声がした。もう飽きるほど似たような言葉を受けて来ただろうから、無理もない。何か言ってくれるだけマシだ。
「斯様な素晴らしき門出の時に、私共のようなものがご挨拶に伺うのは如何なものかとは思いましたが、もしかしたらお役に立つ日が来る事もあろうかと思い、ご挨拶に伺いました。以後、お見知り置きくだされば幸いでございます」
よし、用意していた口上はなんとか淀みなく言えた。一安心したものの、数秒待っても反応がない。何か怒らせただろうか。不自然にならないように恐る恐る顔を上げると、ジェイムズは何やら面食らったような顔でこちらを見ている。
「……何か失礼がございましたでしょうか」
「ああ、……いや」
驚きのような、戸惑いのような顔のまま、顎に手を当てる。仕草は大人びているのに、表情は年相応だ。
「少し話がしたい。掛けてくれ」
「えっ嘘」
思わず漏れ出た声を、ブルーの視線が貫く。
「何か問題が?」
「あああ、いえ、はい、あの、ありがたく、はい、失礼いたします」
促されるままに腰掛ける。物音も立てずにそばに立っていたバーナードは、ローズ卿の目くばせを受けて部屋から出て行ってしまった。窓の向こうの日差しはあんなにも騒がしいのに、ここに漂う空気は静まりかえっている。何か言ったほうがいいのか迷っていると、早速だが、とローズ卿が口を開いた。
「貴女は、ここに営業に来たのではないのか?」
「は、……ええと、はい、それは勿論、おっしゃる通りでございます」
「ではなぜ、ここにいるのが相応しくないように言った?」
こちらの目をひたと見据えて、言う。責めるような色はない。けれど、上辺の言葉を受け入れるつもりも、まして逃すつもりもないのはよく分かる。こちらとしても、隠すようなことは何もない。
「それはご存知の通り、私共が、お2人を別つものでもあるからです」

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野やぎさんの「#冒頭3行選手権」に参加させていただいたものです。えいやっと書き始めてみました。
タイトルの「結精師(けっせいし)」の中身を明かす前ですがひとやすみ失礼。
続きもなんとか頑張ります。


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