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通り魔のように愛をもぎ取る

 「愛されたい」という感情に心が食われてしまいそうだ。

 そう感じるとき、大抵理由ははっきりと思い浮かばないけど、何となく寂しい。誰といても孤独を感じて、世界で自分ひとりだけが誰とも繋がっていないような気がして、自分と違って愛されているように見える子が羨ましくて、あの子のように出来ないのは自分の醜さが原因のような気もして、本当は、こんな風に気付いてしまうずっと前から独りきりだったような気もして。

 寂しい、寂しい、寂しい。愛されたい。
誰でも良いから、めちゃくちゃに私のこと愛して欲しい。

誰でも良いと思った今、もはや通り魔のように他人の愛をもぎ取ってやるしかないのかもと思った。私に向けられたものじゃない、例えば、愛されているあの子が向けられているような、私以外の人に向けられるはずだった誰かの愛を、無理矢理。

 どうせ、手に入れた瞬間「なんかこれじゃないな」って気づくの分かってるのにな。当たり前だ。私に向けられたものじゃなんだから、私の手に馴染まないのなんて当たり前なんだ。

 それに、ちょっと冷静に考えてみれば分かる。本当は私は独りじゃないことや、ちゃんと愛されていること。すでに手に握っている愛に気づけなくなっているだけだ。
 「誰でも良いから愛してよ」と思う時は、本当のところ、私が他人からの愛情を受け止められるだけの器を持ち合わせていない時だ。どれだけ愛を浴びたって、器が無いのだから全部零れてしまうに決まっている。私が本当にしなくちゃいけないのは、他人の愛をもぎ取ることではなく、愛情を受け止める器を作り直すことだった。

 なんて、頭ではわかってる。わかってるのになあ。作り直す方法も知らないし、私と違って「愛されている」ように見える、深くて丈夫な器を持っているあの子が死ぬほど羨ましい。もう、なんか、愛されたいっていうか、輪郭が分からなくなるほどめちゃくちゃになってしまいたい。自分とそれ以外の境界線が分からないくなるくらいにぐちゃぐちゃになってしまいたい。


 こんなこと、早く終わりにしたい。

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