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仕方ないねって言うけれど、あきらめて投げ出しているわけじゃない。

少し前から私は、「仕方ないね」ってよく書いている。

それは、物分りが良い人になろうとしているわけではない。精神的に大人であろうとしているわけでもない。

私はただ、自分にはどうすることもできない外からの影響で、自分を揺らしたくないだけだ。

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物分りの良い人は、あくまで外から見た評価だし、精神的に大人は、なにをもってして言うのかわからない。

だからと言っていいのかはわからないけれど、それらに興味はない。

私は私の感情がネガティブな方向に揺らぎすぎないようにしたいだけ。

だって、ネガティブな自分はめんどくさいし、感情が落ち込むのはしんどい。いやだよ、そんなの。

いやだから、どうしたら揺らぎすぎなくなるかと考えたとき、「仕方ない」って言葉が出てくる。

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感情が揺らぐのは、外からの影響がすごく大きい。

でも、外からの影響は自分ではどうすることもできない。コントロールできることじゃない。

だったら、それはそういうものだから「仕方ない」という結論になる。

けれどそれは、仕方ないから我慢して、上から押さえつけて重しをつけるという意味ではない。

仕方ないからそこにこだわるのはやめて、縛りを解いて軽やかになるという意味だ。

軽やかになったあと、考え方を変えて受け入れるのかそこから離れるのかは、そのときの状況や精神状態によるかな。

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ネガティブな感情に揺れることはどうしたってあるし、それがだめなことだと言うつもりはない。

ただ、偏りすぎるのは良くない。けれど、ネガティブになる理由はそこらじゅうにあって、偏ることはかんたんだとも思う。

だから、ネガティブになる理由に縛られないように、捨てて軽やかになるために、最近の私は「仕方ないね」と言うんだ。

#エッセイ #毎日note


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