新入社員のみなさまへ。ただ目の前のことに一生懸命であれ
4月に入り、桜も舞い散る季節になったので、新しくサラリーマンのスタートを切ったみなさんに何か気の利いたことのひとつでもお話しできたらと思って、キーボードを叩き始めた。これからの文章の流れは、まだ全然考えられていない。
私はかれこれサラリーマンを15年ほど続けてきた。今の会社は3社目で、いままでで一番充実していて、やる気に満ち満ちている日々を送っている。正直、これほどまでに「仕事をがんばろう」と思えたのは、ここ最近の話だ。
まずはこの話の結論をお伝えしよう。
「ただ目の前のことに一生懸命であればいい」
そんな話をしようと決めた。
夢を抱いたり、目標に向けて突き進む姿勢も大事だが、ただ目の前にある自分の使命にたいして真摯に向き合うだけでも、人生は良いご縁に恵まれて、いつかとんでもないところに連れていってくれるものだ。
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サラリーマンは輸入商社の営業から
大学を卒業して、そのまま輸入商社の営業職として、僕のサラリーマン生活ははじまった。
別にやりたい仕事だったわけではなかった。多くの大学生と同じように「そういう年齢になったからどこかに就職しなければならねばならない」と考えただけで、夢や希望に満ち溢れたスタートではなかったと思う。
ただ、自分なりの理由はあった。「今後自分がどんな仕事をするにしても、営業という経験は必ず役に立つだろう」と考えての営業職希望だった。
また、「自分は何者かになるんだ」と息巻いていたとは思う。いわゆる "意識高い系" の新卒社員だったと思う。
7つの習慣を愛読書にして、分厚いシステム手帳には太い万年筆をさしていた。自己啓発本が好きで、「金持ち父さん」の本も読んでたっけ。懐かしい。
別にあの時間は無駄ではなかったし、これらの本を読んだことを後悔はしていない。ただ「理想的なビジネスマン像」ばかりを追い求めていないで、もっと目の前にある仕事に集中するべきだったのではないか?と思ったりはする。
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ブログをはじめた日のことは今でも覚えている
その後、入社して半年で転勤が決まり、大阪での一人暮らしがはじまった。仕事の忙しさに波はあるにせよ、幸いにして定時に家に帰れる日が多く、夕方18時以降の過ごし方に悩んでいた。
そこで始めたのが「あなたのスイッチを押すブログ」だった。
手持ち無沙汰で時間を持て余していたから。
iPhoneやMacが得意で、そのスキルを誰かの役に立てたかったから。
学生時代にスポーツしかしてこなかったため、クリエイティブな活動に憧れていたから。
有名になって、チヤホヤされたかったから。
ポジティブな理由もあれば、汚い欲望にまみれた理由もあった。ただ、理由はなんにせよ、走り続けるためのガソリンには変わりない。時間があれば文章ばかりを書くようになっていた。
不思議と、PV数が少ないことに焦りや不安を感じることはなかった。自分の発する情報に価値があると信じて疑わなかったし、誰か一人でもTwitterで「参考になりました」と言ってくれたら、それだけで天にも昇るほどの喜びだったからだ。
だから毎日、飽きもせずに文章を書き続けた。気づけば、今日この日まで書き続けている。これからも続けたいと思っている。
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いま思えばブログから始まったのだ
ブログが紡いでくれたご縁は本当にたくさんある。
大阪でひとりぼっちだった自分に、友人ができた。同じくブログを運営している人たちと知り合いになり、友人となり、仲間になった。先日は、その仲間のひとりがドイツから一時帰国したので、久しぶりに一緒に酒を交わした。
たまにしか会わない間柄だけれど、会えば変わらず笑いあえる。ふとした瞬間に「そういえばあの人、どうしてるかなぁ」と想いにふける相手。そういう大切な仲間が、ブログをきっかけに何人もできた。
これは僕にとって、人生の財産だ。
仕事にも巡り会えた。
ブログをはじめたことでWebやIT技術に興味を持ちはじめるも、まったく違う業界であるために転職活動も苦戦。そんなとき、僕のブログに興味を示してくれて、拾ってくれたのが、2社目のWeb制作会社の社長だった。
未経験の僕を「じゃあうちでやればいいよ」と受け入れてくれた。ただブログをかじっている程度の、右も左もわからないぺーぺーな自分を、Webディレクターとして育ててくれた。
社長・先輩・一緒にプロジェクトを共にしたディレクター・デザイナー・エンジニアのみんな。すべての人に感謝しかない。
この会社では、社会人として必要なあらゆることを学んだ。
中でも最も大切にしているのが、「自分ひとりでは何もできない」という教訓だ。
Webディレクターなんて、ひとりじゃWebサイトひとつ作れない。デザイナーやエンジニアなど、さまざまな人の力を借りて、ようやくひとつのプロジェクトが進められる。
驕りや慢心はない。プライドも捨てられた。自分は何をしたら、誰の役に立てるのか。それが "仕事" の根幹であると学びきれたのは、自分にとっての大きな成長だった。
ブログをきっかけに、新しい肩書きも手に入った。
ブログがきっかけでできた友人。そこから良縁を結んでもらい、いまはAll Aboutや Paizaといった外部メディアにてライター活動も行っている。いわゆるパラレルキャリアだ。
母は絵描き。兄はミュージシャン。家族みんながクリエイティブな活動を行い、0から1を生み出すような生き方だ。
かたや自分はスポーツばかりやってきた。クリエイティブな創作活動なんて自分にはできないと、憧れと諦めに悩んでいた日々もあった。
そんな自分に「文章」というクリエイティブを与えてくれて、そこに「報酬」という価値を与えてもらった。そのご恩に報いたいと思うので、外部ライターという仕事を大切にしている。
この仕事こそ、僕がクリエイターであるという証明であり、自分にとっての自信にもなっている。
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今日という日に辿り着けてよかった
1社目の輸入商社から、2社目の制作会社を経由し、サラリーマン活動も約15年となった。そしてつい最近転職をし、現在は事業会社のWeb担・マーケティング担として活動している。
いまのこの会社は、僕のWebディレクターとしての成果・経歴を評価してくれて、「ぜひうちの会社に力を貸して欲しい」と誘っていただいた形だ。
これもご縁であり、そういうタイミングだった。
15年前の僕は、今日という日に憧れていたわけではない。大学を卒業して、おろしたてのスーツを身にまとい、桜の花びらを眺めている僕には、スタバで文章を書き連ねている僕のことなんて想像もできていないだろう。
しかし僕は幸せだ。良い伴侶にも巡り会えて、心優しい娘もいる。仕事にも恵まれて、毎日が充実している。
人生において夢や理想を追い求めることも大事かもしれない。けれど、それがなかったとしても、人生は良い方向に転がっていけることを知った。
だから僕はこれからも、いま目の前にある自分の使命に向かって一生懸命でいようと思う。そうやって一歩一歩進んだ先で、どんな景色に巡り合えるのか。それを楽しみにしていきたい。
バラ色の人生ってほど派手ではないかもしれないけれど、桜色が似合うぐらいには心穏やかに暖かな日々より。
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