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卒業文集を振り返って・・・

みなさんこんにちは。

自分語りですいませんが
みなさんは今年のお盆実家に帰りましたか?

また実家に帰ってきたら
学校の同級生と集まったりしていますか?

コロナなので、今年は厳しいかもしれませんが
普段はどうですか?

私は、地元に帰ってきても会うのは
直近の大学生時代の友達くらいですかね。。。

別に、友達が少なかった訳じゃないんです。
むしろ多かったです。

お盆に実家に帰った時
懐かしい、小学校、中学校、高校と
卒業文集を見返していました。

小学校・中学校は自分でも写真を見て
当時の光景が思い出せます。

こんな友達がいたな〜とか、こんな先生がいたな〜って
はっきりと思い出せます。

そりゃ、9年間も一緒にいたら嫌でも覚えるか・・笑

でも、本当に充実していたからだと思います。
学級委員を毎年やったり、生徒会の会長をやったりと
クラスや学校の中心的存在だったこともあり
男子、女子関わらずたくさん友達がいました。

大体、学校が終わると
自分の家に集合して遊ぶってのが小学校時代から
中学までず〜〜っと続いてたような気がします。

多い時は、10人近くいたんじゃないかな。
私の家の庭で野球をしたりすることもあれば
中学時代はゲームや遊戯王カードをして遊びました。

恋もしたし、スポーツに勉強にたくさん思い出があります。

私の人生の転換期は
中学から高校へ進学したタイミングにあったんだなって
今、振り返ると思います。

1つ目が親の離婚です。

中学から高校に上がるくらいかその少し前ですかね。
あまり覚えていませんが母親がうつ病になり実家に帰ったり
することが増えて家の中がゴタゴタしていました。

そこから少しは良くなったのかなと思って
落ち着いたと思いましたが、今度は急に離婚の話へ。

正直、私は子供ながらに色々と察してはいました。

そして、母親から
このまま父親側に残り、今の家で暮らすか。
母親についていって、名字も変わって新しい生活をするか。

こんな選択、できればみなさんや
みなさんの子供にはしてほしくありません。

私も中学生ながらに重要な人生の選択を求められました。

当時、私の弟はもっと小さく
中学校上がるかぐらいの年齢だったので
1番つらい思いをさせたなと思います。

私は結局、父親側に残る選択をしました。
母親が好きとか、父親が好きとかは正直あまり関係なく
自分の人生設計を考える上でこういう決断をしました。

だって、せっかく小学校から学級委員を毎年やって
中学校でも生徒会やってという感じで
せっかく作り上げたこの自分という存在を一度0にして
また、新しい環境で頑張るという気力は私にはありませんでした。

結局、父親側には私と弟が残り
母親と兄貴は家を出てきました。

そこからすぐ、高校への進学だったのですが
先程同様、高校は知らない人ばかりなので
結局1から全てを構築しなければなりませんでした。

それに疲れた私は、高校ではもう大人しくしよう。
そう思ってしまいました。

また、この時初めて気づいたのですが
何の特徴も特技もない私に学級委員を勧めてくれて
クラスで居場所がなくならないようにしてくれたのは
「母親」が後押ししてくれてたからだと気づきました。

高校の部活では同じ中学の友達がいるからという理由だけで
「野球部」に入って坊主にもしました。

でも、練習もきついし元々野球がうまかった訳ではなかったので
何かと理由をつけて、2ヶ月程度で退部しました。

こうして私は、数少ない
部活をしていない友達と、遊戯王カードで放課後遊ぶようになりました。

完全に小中の時とは違い、クラスでも
目立たない存在へと変わりました。

その時くらいから、初めてインターネットという世界を知り始めました。
中学まで携帯すら持っていなかったので
高校になって初めて携帯電話を手にしました。

今でいうガラケーですが、当時の自分からしたら
嬉しくてしょうがなかったです。

ここで初めて学校の外のコミュニティを知ることとなります。

そんな時に出会ったのが、アイドルでした。

スマイレージというグループを好きになり
インターネットサービスの「グリー」や「mixi」「Twitter」で
同じ趣味の仲間と知り合うようになり

電車にも初めて一人で乗ってイベントに行くようになり
初めて、学校の外で友達が出来ました。

年が離れた人もいたりしましたが、みんな良い人で
学校よりも楽しい場所を見つけました。

そして、学校の友達だけが全てじゃないってのも知りました。

そこから、どんどんインターネットでのコミュニティの
割合が増えていき、高校3年の時にはYouTubeもスタートし
完全にインターネット、学校外の趣味の合う友達との時間が増えました。

だから、高校の卒アルを見返しても
正直、クラスメイトさえ名前を思い出せないし
向こうも自分の事を覚えてないと思います。

大学については、気の合う人以外とは
ほぼ、接触を断っていたので

卒アルすら購入してません。

しかし、趣味の方に没頭しすぎたのと
携帯電話を初めて買ってもらったのが高校生だったこともあり
仲の良かった中学時代の友達とも疎遠になってしまいました。

成人式は一応、生徒会や学級委員をやってたこともあり
クラスの仕切り役をやりましたが
本当にそれきりほぼ誰にも会ってませんね。

もっと学校を楽しんでいれば
青春も出来て、未だに遊ぶ友達もできたのかなぁなんて
思いますが、私は自分の生き方に後悔していません。

人ができなかった経験をたくさんしてると思うし
何よりも自分の幅を広げることができました。

あのまま、インターネットに出会わず
平凡な高校生活を送っているだけだったら今の自分はありません。

色々、苦渋の選択を迫られる場面があったけど
後先考えず決断できたのは若気の至りってやつですかね笑

昔っから芸人になりたいと思ってたくらい
人に注目される事が好きだった自分は
ずっと、いつか「おしゃれイズム」に出たいと思ってました。

今も変わりませんが。

その時、懐かしの同級生に当時の事を聞いてみたって
感じで、久しぶりに再開できたらいいなって思います。

いつまでも、誰よりも上の存在でありたい。

中々、変わんないなぁ人って。

25年間生きてきて
人に可哀想って思われる事もあったけど
私は嫌いじゃないです。この人生。

生まれ変わってももう一回自分になりたいです。笑

そしたらもう少し上手く立ち回れるかなっ

以上

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