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「典型的V系」の権化・ペニシリンの哀しき「売らんかな主義」

 前回、黒夢の話の最後に「ラルクでも書きますか」的なことを書き残したけれども。
 次に書き残しておきたいと思ったのは、何を隠そうペニシリンであった。なぜカタカナ表記にしているのは、ファンだった人ならおそらくわかっていただけるだろう。
 というのもペニシリンは、インディーズ時代は「Penicillin」という頭以外小文字表記だった。だがメジャー・デビュー後は「PENICILLIN」の完全大文字表記になっている。その後、インディーズ流通に戻ってしまっても。
 まぁアレだ、Bonnie PinkなのかBONNIE PINKなのか書き分けるのが面倒臭いから全部カタカナでボニーピンクにしてしまえ、ということだ。個人的にはPenicillinのままなのだけども(←布石)。
 
 さてこのペニシリン。世にもめでたい一発ヒットを出したことがある。
 それはアニメ『セクシーコマンドー すごいよ!マサルさん』のテーマ曲になった「ロマンス」の大ヒットだ。100万枚まではいかなかったがバンド最大のヒット曲となり、バンド自体を知らなくても「ぅあいにぃぃぃ、きどぅいてぇくどぅーあーすぁーうぃぃぃ!!(愛に気付いてください)」というクドい歌唱で有名。これって後述するが「清春歌唱」なのだよ。
 しかしそれ以前とそれ以後は、一般世間にはまったくと言っていいほど知られていない。前回に書いた、黒夢のような大きなムーヴメントを作るまでには至らずにいる。
 というのも、言わば「第3次V系」ってそんなものなのだ。
 XやBUCK-TICKといった「第1次V系」は根強く今でも活動する彼らや、関西方面で有名なCOLORなど、元祖と言える風格がある。どこかしか「ムーヴメントを作った風格」みたいなものが。だからDIE IN CRIESのkyoとかラルクに入ったyukihiroとか、尊重されるのだよね。タテのつながりが強いV系にとって「パイセン」なんですよ。それを無視したのが黒夢ってことを書いちゃいましたが。
 LUNA SEA、黒夢、ラルクなどの「第2次V系」はヒットも多く、言わばV系黄金期。中でもV系に「含められてしまった」GLAYはお茶の間バンドにまで登り詰めた。そりゃだってV系じゃないんだもん。YOSHIKIの毒牙にかかってV系にカテゴライズされちゃっただけだから。
 そして「第3次V系」は、Penicillinや有象無象の「それ以外」。このあたりは「一瞬だけ売れる」ことも多く、たとえばFANATIC◇CRISISは知らなくても「火の鳥」は聞いたことがある、という人も多い。SHAZNAの「MELTY LOVE」「すみれSeptember Love」なんてこの世代の典型だ。あーあとSHAM SHADEとかね。というより「1/3の純情な感情」とかね。表現者より曲が先行なのだよ。世代だなぁ。
 そうやって雨後の竹の子のごとく加速度的に、倍々ゲーム的にV系は増えていった。その後の「第4次V系」と言えるだろう世代はDir en grey、Janne Da Arcなどが活躍したが、増えるバンド数に対してヒットするバンドは絶滅的に減っていく。
 そうしてV系は氷河期を迎え、突然「ネオ・ヴィジュアル系」と名を変える。the GazettEやナイトメア、シドが売れたのはいいものの、ゴールデンボンバーの自虐的V系ネタ路線のおかげで、めでたくV系はネタ同然の存在に陥った。恐らく今後も含め、金爆こそが「V系最大にして最後の一発」だったに違いない。いやこれは断言できる。回顧主義を「馬鹿じゃねえの」と楽しんでいるかのような潔さなのだもの。
 そうして現在、V系はまるっきり地味なカテゴリーになってしまい、歳をとって余裕ができた当時のファンが黄金期バンドの再結成を楽しむものとなった。一時期はV系専門誌が月に何冊も出ていたのになぁ……。
 
 さて。
 肝心のペニシリンだが、いわゆるV系黄金期にインディーズ時代から人気を集め、鳴り物入りのメジャー・デビューを果たしたバンドだ。そういう部分では黒夢にも似ている。
 結成時から基本メンバーは変わっていないが、4人組だったのが3人になっている。
 
 まずヴォーカルは「自称フランス人のクォーター」HAKUEI。少女漫画から飛び出たような美貌に高身長、漫画が好きで自分でも「ヘタウマな絵を」描き、古屋兎丸とコラボしたり。現在は肉体改造にいそしみ、バキバキの体にタトゥーでクロムハーツという、半分ぐらい清春な路線になってしまった。うーむ。でもフランス人のクォーターっていうのは今でもホントかどうか疑問だ。
 次にベースの「自称ドイツ出身」GISHO。高身長で1日3時間しか寝ず、親の仇を探すような目つきで街を歩いて好物のラーメンを食べる奇人。ベース・プレイは平凡だが(←あっ)男前なルックスでHAKUEIとともに「シリアス班」をつとめる。しかし脱退してバンドにはビジネス面で関わるようになった。そのあとズボラで起訴されちゃったんだけどね。
 ギタリストは「森高千里が好きだからこの名前にした」という千聖。ソリッドなプレイを得意とし、逆にメロウなプレイはそれほどでも(←ああっ)。楽曲面の中心だが、プレイよりボケもツッコミもできる話術が評判。ライヴMCなども定評があり、TV番組やトークCDで大活躍した。
 最後にドラムは、よくいる「おまえはV系なのか?」なO-JIRO。太りすぎてバンド内に一時期、ラーメン禁止令が出たぐらい。テクノ系バンドもやったぐらいなので、意外とドラミングは正確。作曲面ではほぼ関与していないが、おとぼけキャラでバンドに不可欠なマスコット的存在。千聖とコンビで「コミカル班」をつとめる。
 
……この配分、何かを思い出さないだろうか?
 わかるかなぁ。わっかんねぇかなぁ(面倒臭い表現になってきたので省略)チープ・トリックなのだよ。
 HAKUEIはロビン・ザンダー(不動のフロント)、GISHOはトム・ピーターソン(偶然だが脱退する)。はい、ヴィジュアル班ですね。千聖はリック・ニールセン(ちゃんとフザけてる)、O-JIROはバーニー・カルロス(ちゃんと太ってる)。ええ、お笑い班なのだよ。
 しかも実際、バンドはチープ・トリックが好きだった。ライヴ配布CDに「永遠の愛の炎」「甘い罠」を収録したり、アルバムの前後を「シリアス班」「コミカル班」で撮影したショットを採用したりした。ねぇそれって何の『蒼ざめたハイウェイ』?
 チープ・トリックは「キャラ分けがはっきりしていて、親しみやすかった」でしょう? ペニシリンもそうだった。前述のように、キャラが立っている。キャラ「だけは」立っている。だから王道路線が好きな女子はHAKUEIに飛び、2番手や渋さが好きな女子はGISHOに飛ぶ。面白いのが好きな人は千聖に行き、「それ以外」はO-JIROに流れた。なるほどー(書きながら納得)。
 だもんで、その70~80年代の洗礼を受けていない女子に、ペニシリンは「わかりやすくて」ウケた。「誰を好きになればいいか」の選択肢が、自分で選びやすかった。つまりは、ファンになりやすかった。
 私?
 私ですか?
 いやー……私はねぇ。偶然なんですよ。偶然立ち読みしたV系雑誌(たぶん『SHOXX』だと思う。HAKUEIが赤いレザー服の軍人コスプレしてるヤツ)で、ベースのGISHOを見まして。そのとたん「うわッ、BUCK-TICKの櫻井敦司そっくりやないかッ!」とびっくりしまして。これね、意外と語られていないけど、そっくりなんですよ。あの「美貌の魔王」に。映りによるところが大きいんですけど。
 だもんでそういう目で見たら、なんと歳は違うけど自分と誕生日も同じであった。ええ言っちまえば5月20日です。なんだこの運命と思って、一気にペニシリン・ショックにかかってしまった。単純に「感情移入」してしまったわけだよ。
 そこからは早かった。まだギリギリ発注できたインディーズ・デビュー盤の『Penicillin Shock』セカンド・プレスを雑誌の通販で購入し、いわゆる「先物買い」に成功。その後、黒夢と一緒に売り払ってしまったけれども。
 
 そんなペニシリンは、インディーズ時代からとっても注目されていた。いやホントあの時期の勢いはすごかったよー。
 以下、インディーズ~メジャー初期の新人バンドにしては「規格外のできごと」を羅列してみよう。
 
・インディーズ時代にインディーズ盤(1st)のリメイク盤が出る
・インディーズ時代にインディーズ盤(2nd)の再発盤がメジャー流通で出る
・海外撮影で何本もPVが製作される
・音楽雑誌の表紙を何冊も飾る
・メジャーで活動する人物と雑誌対談(UP-BEATの広石武彦など)
・インディーズにして渋谷公会堂ソールド・アウト
・インディーズなのにメジャー3社からリリースする
・そのうち1社からVHS豪華セットを2作品もリリース
・インディーズなのにシングルのカップリング曲がNHKドラマの主題歌になる(見たことないけど)
・メジャー・デビューにあたり、TV特番を組み特設電話番号にてライヴのチケットを優先予約
・メジャー・デビュー・ライヴは日本武道館2DAYS(全員に配布シングルのプレゼントあり)
・デビュー直後に冠番組を持つ(テレビ埼玉だけど)
・デビュー前後あたりにギターとベースのシグネチャー・モデルが出た(たしか)
・しかも楽器を弾けない女子を中心にコレクションとして売れた(らしい)
 
……あぶり出せばもっともっとありそうだけど、ザッとこんな感じか。
 余談になるが、人気絶頂のこの頃、雑誌主催で「握手会」が開催された。
 たしか浮浪者がビニールの家を張る新宿中央公園すぐ近くのCD屋だったと記憶している。僕はコスプレ女性とV系女性と一般女性しかいない参加者に混じり、がっつりMA-1なんぞ着て「男ですが何か問題でも?」と列に並んでいた。仮に300人いたとしたら、男は1人だったように思う。つまり自分以外の男は誰もいなかったと記憶している。メンバーとスタッフ以外。
 今でも憶えている。店に入ってHAKUEI、GISHO、千聖、O-JIROの順で握手とお話ができたのを。タイミング的にはメジャー・デビューが決まり、日本武道館のデビュー・ライヴが告知された時。ペニシリンが最もイケイケだった頃だ。
 僕は前述の理由でGISHOに惚れ込んでいたので、超絶美貌のHAKUEIにもビビらず「歌声が黒夢の清春さんに似てますよね」などともんのすごく失礼なことを言ってしまった。HAKUEIはイヤな顔せず「えっ。初めてだなぁ、そう言われたの(にこっ)」と応じてくれた。王子だ。本気で王子だった。他に「『×・×・×』という曲は、何と読むんですか?」と聞いたが「特に読み方はつけていないんだよね(にこっ)」とかわされた。この王子め。
 待望のGISHOに相対して、握手……した手が、思わず離せなくなる。待望すぎて何も話せん。握手したままの手を上下にぶるんぶるんと振り続けて「言葉にならない愛」が炸裂してしまい、周囲の視線を集めた。ようやく手を離すと、GISHOが笑って僕を指差し「おまえは絶対プロになる!」と言ってくれた。感動である。何のプロかはわからないけど。おかげで思いの丈やらB-T櫻井に似ているだのと言えなかったが、HAKUEIに「清春に似てる発言」してしまった直後なので、きっと言わなくてよかったのだろう。言いたかったけどねー。
 続くコミカル班は、気楽なものだ。千聖にはTV番組で見知っている「金返してくれ」というネタを振って笑ってもらえた。目が笑っていなかったが。
 最後のO-JIROまで来ると何を話していいのかわからなくなり、向こうから「武道館も来てね」と言われた。写真で見るより丸くて白かった。
……うーむ。シリアス班の記憶に対して、コミカル班の印象が実に薄い。まさかこの時には、10年後にGISHOがこのバンドを離れることになるとは思ってもいなかった。そしてその時には、すっかり自分がファンをやめているということも。
 メジャー前夜のこの日、自分にとって最もペニシリンが好きだった日なのかもしれない。
 
 ここでまた脱線。
 HAKUEIについつい言ってしまったのだが、彼は「ん」を「う」と歌う、あの「清春歌唱」の後継者である。それもパンクを目指したおかげで次第にシンプルになっていった本家・清春と異なり、ヴィジュアル系に拍車を掛けるHAKUEIは、どんどん歌い方が過剰に清春になっていった。清春よりも。ヘンな話だが。
 清春が得意だった「ん→う」に始まり、長音符(ー)部分を発音したり、「を」を「あえて『うぉ』と発音」したり……清春っぽいヴォーカルに、どんどん磨きをかけていく。いや清春じゃないんだけどね。
 ゆえに僕は、彼を通して「ああヴィジュアル系の歌い方って、清春がマイルストーンだったのだなぁ」と深く感じた。今でもそういう歌い方の人々は少なくない。いやV系自体がもはや少ないんだけどさ。
 というわけで閑話休題。
 
 さて流れを戻そう。またどうしてもインディーズ時代の話題になってしまうが、それはお許しをば。
 当時、あまりに人気なので、インディーズ時期にメジャー流通レーベル3社からリリースしたことがある。メジャーに在籍する人があえてインディーズで出す、ということはあるが、インディーズ時代の作品がメジャー流通から出るというのは、それこそ普通は人気が出てから版権を買って、メジャーで「出し直す」ぐらいだったはずだ。
 それこそ徳間ジャパン、日本クラウン、VAPという「メジャー中のメジャー『ではない』会社」だったけど、インディーズ・バンドがメジャー流通でリリースすること自体がめったにあることじゃなく、しかも3社同時というのが破竹の勢いを示していた。
 特にVAPには気に入ってもらえたのか、ミニ・アルバム以外にも2種類の「豪華VHSビデオBOX」まで出させていただいていた。というのもVAPからリリースされたミニ・アルバムに収録されていた曲が当時バンドの自信作で、それらのイメージ・ビデオや各種映像を収録したアイテムの制作に至ったわけだ。版権上、必然的にVAPからのリリースとなるわけで。
 その『HUMAN DOLL』『QUARTER DOLL』という豪華セットは、VHSが1本とメンバー全員の直筆サイン、写真集やら何やらのボックス・セットで10,000円。で、それが2本なわけだ。どうにか金策を立てたが限定品なので店に置いていなかったりと、千葉の柏と埼玉の春日部をハシゴして両方を買った記憶がある。恥ずかしいな浪人生時代に。
 それだけ優遇してくれたVAPだから、メジャー・デビューにあたり、おそらく手を挙げてくれただろう。ウチに来ないかと。
 しかし、ペニシリンがデビューしたのは、VAPでもなかったのだ。
 
 メジャー・デビューにあたり、数社からオファーが入る。
 たしかビクターも手を挙げていると聞いて、個人的に「おお、ビクターに在籍するBUCK-TICKの櫻井敦司に似ている人がいるグループに、ビクターから声がかかっている!」と無意味に興奮した。その直後にB-Tはビクターを脱けたのだけども。
 インディーズ最後の新曲のひとつ「MELODY」では「現(うつつ)の中で選んだ答え」などと歌われており、いかにもメジャー前夜という感にワクワクしながらテレビ埼玉を見たものだ。
 というのも、テレビ埼玉はV系をプッシュする『HOT WAVE』が毎週放送されており、ペニシリンもよく出演していた。そこでの「お笑い班」のトークが評判で、とうとう冠番組『ペニシリンSHOCK』まで持つようになった。新人なのに、だぞ。デビュー直後に。
 そうしてペニシリンが期待の中、選んだメジャー・レコード会社は――「パイオニアLDC」。
……?
 ぱいおにあえるでぃーしー???
「なぜ?」というのが、おそらくほぼ全ファンの感慨だったのではないだろうか。超メジャーなソニーや東芝EMIから声がかかったかはわからないが、噂として確実視されたビクターでもなく、CDを出していた徳間やクラウンや好き勝手に出させてもらったVAPでもなく。
「なぜパイオニアLDC? そもそもパイオニアはAV機器のメーカーとして知ってるけど、LDCって何じゃ?」
 そう思ってしまうぐらい、パイオニアLDCなんていうレコード会社は「知られていなかった」。
 メンバーいわく「最も自由にやらせてもらえそうだったから」ということだが、今にして考えれば、まーたしかにそうだろう。他の超有名レコード会社ではお抱えも多く、競争も激しい。とにかく売らないといけないので、やりたい表現より「売れる表現」が優先されてしまうだろう。
 だから有名でなくとも、大切にしてくれそうなパイオニアLDCを選んだ。なるほど。
 しかし「あまりにロック・バンドを抱えた前例がなかった」パイオニアLDCを選んだおかげで、ペニシリンは逆に「売らなきゃいけないプレッシャー」にかかり、インディーズ時代に兆候はあった「売らんかな主義」に陥ってしまったのである。
 
 パイオニアLDCはアニメなどが強いものの、はっきり言えばロック・バンドが皆無なレコード会社だった。そのため圧倒的に宣伝力が低く、ロック・バンドが在籍するレコード会社としては弱すぎる。
 後に「ジェネオン」として再スタートし、現在はユニバーサルに合併。その頃にはペニシリンはあっさりこのレコード会社を棄てており、コロコロと在籍レーベルを変えていた。基本的に恩義を感じる前に姿を消すのかもしれない、このバンドは。まるで結婚が怖いから彼女を次々と変えていくように。
 ともかくも『BLUE MOON / 天使よ目覚めて』のダブルA面シングルでメジャー・デビューしたペニシリンは、名前を「PENICILLIN」という大文字に変えた。「小さくまとまった小文字よりも、メジャーになれる大文字にした」なんてことを言っていたなぁ。当時は「うんうん」と思ったが、今にして思えば、はっきり言って雰囲気だけで意味が成立せんわ。まぁV系は雰囲気ですから。
 そうしてアルバム『VIBE∞』をドロップ。ともに新人としてはなかなかの滑り出しで好評を得た。
 昔からのファンとしては「メジャーになったなぁ……」というのが正直なところだった。音作りやアプローチに「金がかかっていて」「聴きやすくなって」いる。反面、ザラザラしたトゲのようなものはなくなり、「いい意味でB級」だったサウンドが「普通にB級」になっていた。
 あれ? 表現がよくないぞ?
 そうなのである。ペニシリンは言わば「近所の大学生が音を鳴らしていそうな、近くにいそうに錯覚する親しみやすさ」もウリのひとつだった。ところがメジャーになって距離ができ、そのうえサウンドは「売ろうという姿勢」が見える。これってバンドも自覚していたようで、そういった曲が後年にどんどんリリースされている。
 あげく、その後のリリース・ラッシュがひどい。セカンド・アルバムまでの間に2枚の企画盤を出したのだが、これが実に「拝金主義」に感じられてしまうものだった。
 1枚は『Indwell』というイメージ・アルバム。さながら「架空のサントラ」として、各メンバーのイメージ・ビデオが製作され、そのサントラを自身で制作するというもの。HAKUEIが長いローブを着て砂漠をさまよったり(今にして思えば鳥取砂丘じゃないだろか)、GISHOがヴァンパイアの格好をしたり。その「豪華VHSセット10,000円」と「サントラCDなぜか2枚組になって5,000円」のリリース。特にCDなんて最初から1枚に収まるサイズだったのに、VHS未収録カットをわざわざCD-EXTRA収録してデータを食っていた。うーむ。
 続くのは『FLY PENICILLIN featuring 千聖』。インディーズ時代の未発表楽曲を、現在のメンバーで再演奏して「5曲で2,500円」で収録!……なぜかヴォーカルのHAKUEI抜きで。なぜ? と思うものの、その頃には4人のソロ活動も始まっており、スケジュールやレーベルの問題、千聖が意外と人気になったことなどが原因かもしれない。ただ問題は、これも「VHS単体 5,000円」が別個に発売されたこと。いい加減ファンを金づるにしてるんじゃないかと思えてきた。
 シングルも仕様に拍車がかかり、『Imitation Love / Never Ending Story』というセカンド・シングルが、シングル2枚めにしてイキナリ極悪。「期間限定盤」「予約限定盤」が存在し、それぞれ「2枚組1,500円」だったと記憶しているが、内容が異なるのは「おまけディスク収録の、コミカル班のトークが違う」ということ。間違いなく「ファンだけガッチリつかんで離さない」売り方だった。もちろん、おまけナシの通常盤もあるよ。当時はまだ「カップリング曲違い」なんて極悪非道まではいっていなかったけど(つまり、そのあとはやるわけだよ)。
 
 メンバー4人も突然ソロ活動を始め、シングル、アルバム、VHSなどとリリースが相次いだ。
「小規模になったhideのニセモノ」みたいな作風の千聖が意外と成功。今でもソロ活動は並行しており、アジアではバンド本体より人気な地域もあるとか。
 続くGISHOはVシネマに俳優として出演し「偉大なる大根役者」を演じた。その後、なんでかその役名「大滝純」でCDをリリース。これも2形態あったと記憶しているが、中身は「最新の音作りで歌う80年代歌手」みたいなものでガッカリした。ハッキリ言って古い。音が。
 O-JIROは個人でのリリースが難しいので、Sleep My DeerのYASUMICHIと共にデジタル・コミカル・バンド「808(やおや)」を組んで「ファンじゃないと買わない企画物」ミニ・アルバムを出した。
 中核、HAKUEIは最後に満を持してソロ・デビューし、その不動の「この声さえあればペニシリン」を証明した。おかげで他メンバーの活動が霞むかと思えば、はっきり言ってHAKUEIも単体では売れなかった。ペニシリンでないと(あるいは千聖がいないと)「曲が普通」だったのだ。
 このソロ活動がまた、困ったことに「それぞれ別々のレーベル」からリリースされていた。お世話になった日本クラウンや徳間も使い、いかにも「俺たちゃ売れてるぜ感」を出しまくっていた。もちろんシングルや複数形態の乱造をしながらなので、傍から見ると、たくさん出ていてたくさん売れているように錯覚された。
 だが、現実はそんなに売れなかった。
 その後、再集結してセカンド『Limelight』を発売。あれだね、プロジェクト分裂してから再集結したキング・クリムゾン状態だね。
 オリコン8位とそれなりのヒットにはなったが、レーベルという恋人に非情なペニシリンはここで移籍を企てる。しかしその前に同名VHSもリリースと、パイオニアLDCで「商魂たくましさ」を学んで去ってしまったのだ。
 
 僕はその時点で、ファンをやめた。これ以上「内容が同じか大差ないのに、仕様が違って2枚も3枚も買わなきゃいけない状態」に耐えられなかった。
 だからなんだと思う。この時期に、ペニシリン全アイテムを含み、黒夢全作品やもろもろ、今や貴重なhideのシングルまで処分してしまった。たぶんその引き金を引いたのは、ペニシリンの「乱造」だったのだ。ああ、もったいなかったなぁ……でもきっと「見るのも嫌」になってしまったのだ。ペニシリンがコロコロと「レーベルという恋人」を変えたように、僕は「ヴィジュアル系という妻」をここで、捨てたのだきっと。
 思えば、この「同じ音源の別形態リリース」は、その後の音楽業界を予言していた。何をか言わんやAKBをや。ジャニーズをや。そしてV系も同じことをしており、そのスタートはペニシリンだった。と言うと過言かもしれないけど、時期的にも元祖と言えそうな「AKBおよびジャニーズ商法の始まり」だった。
 その後もペニシリンは、レーベルをコロコロ変えながら「特典内容が微妙に違う限定盤数種」「それとはカップリング曲が違う通常盤」というシングルを発売したり、アルバムも同様の措置をくりかえす。
「三つ子の魂百まで」と言うが「CDデビューからメジャー・デビュー直後までの三年にやったこと、最後まで」やるつもりだ。このバンドは。
 それは以前の黒夢に記述した「劇的変化はせず、似たような路線をくりかえし、ファンを逃がさない路線」である。つまりは「王道V系」と言えるかもしれない。公式サイトのヘッダー文句に「ヴィジュアル系バンド」って自分で書いてるもんね。
 確認してみたら、現在でも「ジャニーズ並の売り方」を続けていた。もはや、きちんと新規ファンを獲得しようとしていないのかもしれない。潔いと言えば潔いが。
 
 僕が離れたタイミングが幸か不幸か、ペニシリンは移籍直後のシングル『ロマンス』で大ヒットを飾る。全作品を手放していた僕は、それを「むかし好きだった人、今も元気だなぁ」ぐらいの気分で見ていた。
 もし、その時点でファンのままだったらどうしていただろう?
「やっと売れたよ! 俺、昔からファンなんだよ!」
 と喜び、その後の「拍車が掛かったアイドル商法」に乗ってしまったかもしれない。それって実は、当時同じように「アイドル商法」に耐えていた「今でもファンを続けている人々」なのじゃないだろうか。おおコワ。
 そう思えば、気づけてよかったのか。それとも麻痺したままのほうが楽しい生き方だったのか……。
 少なくとも、お金がなくなって他の音楽を聴くことはなくなっていっただろう。そのままでは、プログレなんて縁もないままだっただろう。
 つまりは、そういうことなんだよね。「アイドル商法」って。
「それでも、ついてきてくれる人だけでいいから」囲っていく。プラス「通常盤だけ、アルバムだけ、シングルだけ買うライトなファン」との均衡で数字も作れている。
 必ず買ってくれる「絶対購買層」に、アルバムを揃える「作品購買層」、ベスト盤の類だけ買う「よりぬき購買層」と、気に入った曲や売れてる曲を買う「偶発的購買層」。それらのバランスの大きな一角として、アイドル商法を受け入れているコア・ファンがいる。
 彼らのお金の余裕がなくなることを含めて「その人だけを好きにさせる」商法なわけだ。きっと。
 おおコワ。
 
 僕の敬愛するライター、市川哲史は、プログレからV系に流れ、やがてジャニーズにまで情熱を注いだ。
 この3本って、実は似ているのだ。上記のような「貴重なファンをガッチリつかんで離さない」側面が。つまり「盲目になりやすいファンの気質」が同じなのだ。性別や年代を越えて。
 だからプログレもV系も「当時のファンが歳を取り、小金が使えるようになったら」ガンガン再結成する。再リリースもする。ジャニーズはジャニーズで、ある程度のスパンや既存グループの変遷を見ながら、新しいグループを送り出す。それらのファンは、同じ穴のムジナなのだ。
 ペニシリンには「アイドル商法」でガッカリさせられたものの、おかげでそうしたことに気付ける機会をもらったのかもしれない。じゃないと無自覚だといつまでも穴からは這い出せないもの。
 
……でも。
 僕の中でペニシリンは、いつまで経っても「デビュー前やデビュー直後の、人気すぎてワクワクする4人組バンド」のままだ。だからデビューから綴りを「PENICILLIN」に変えても、自分の中では未だに「Penicillin」のままだし、仕方ないのでここでは「ペニシリン」で統一した。
 その後、僕は音楽関係の仕事に就き、最初に出されたベスト盤『THIS IS PENICILLIN 1994-1999』のプロモーション盤をもらい受けた。インディーズ時代とメジャー・デビューから移籍までの2枚組なのだが、これのインディーズ時代が実にいい選曲で、未だによく聴いている。さらに数曲を足して。
「これからの成長を感じさせるB級感」
 それが僕は、大好物なのだと感じた。やはり視点はプログレッシャー。
 そして聴くたびに「アコギの音がビビッたテイクを採用すんなよ(笑)」と思って微笑ましくなる。
 もうファンからはとっくに逸脱したけど、やっぱり「好きだったんだなぁ」と感じる。
 たぶんだけど、自分に自由なお金が無尽蔵にあったら、今でも購入していたでしょうしね。リリース全形態を。
 でもそれが現実的なお金に追いつくほどの内容じゃなかったのだよ、クオリティが。人生を投げ出すほどじゃなかったのだよ。僕にとっては。
 
 これからも長く、活動してください。
『有吉反省会』とかにも出るようになったし、もうどんな売り方してもいいから(笑)。
 でも、もしもペニシリンが解散したら、その時にして僕は、自分の青春がとっくに終わっていたことにようやく気付くだろう。大袈裟だけどそんな気がする。そのぐらい「当時のまま、麻痺させてくれている」。
 だから解散せず、HAKUEIは特に「白髪になってもヴィジュアル系」を突き通してくれぃ!

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