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非・クリムト回顧としてのクリムト(愛知県美術館『クリムト「黄金の騎士」をめぐる物語』レビュー)

例によって本稿は2013年に筆者が書いたレビューですが、これは実際に世に出しておらず個人的には好きな文章だったので多少の注釈、改行など加えたものの当時の原稿をそのままあげています。

非・クリムト回顧としてのクリムト

今回はクリムトの『黄金の騎士』をめぐる展示ということで、内容も単なる図録的な意味合いを持つような作品の羅列というよりは、作品としては全体的にピンポイントでクローズアップされたテーマに合わせて焦点の絞られたセレクトになっていた。

それが必ずしもクリムトの作品であるというわけではなく、ある意味ではクリムトという佇まいを側面からも見て、文化的ないしは時代的背景からも浮き彫りにするような狙いの見えるキュレーションが為されていたと思う。

愛知県美術館の開館20周年を記念して開催する本展では、国内外のコレクションによるクリムトの油彩画約10点、素描約30点を中心に、クリムトと深く関わった工芸職人の生産組合ウィーン工房の作品などもあわせて展示します。

(中略)本展では、「黄金の騎士」誕生の謎を解き明かす物語から、芸術家クリムトの歩んだ道をたどる物語へと皆さまをご案内します。この物語を通して、クリムト芸術の新たな面を発見していただけることでしょう。(愛知県立美術館のHPより抜粋

特に、同時代に活躍したウィーン分離派たちの展覧会のポスターの存在感はどの展示室でも大きく、大体は当時らしい幾何学的、あるいはアール・ヌーヴォー的な字体に自然的なモチーフの象徴化されたようなイメージが載っているようなものだったが、中には20世紀初頭のポスターながら現代のパソコンで作られたアニメーションのキャラクターのような表現もあり、面白かった。

他にも、ウィーンの工房で作られた家具や、パトロンの人々との人間関係のもようなども丁寧に追って展示されていて、グスタフ・クリムトという作家がどのような環境で制作をしていたのかということが計らずとも体験できるように計算されていたと思う。

この当時のファブリックは全体的にスクエアや象徴的かつ単純なモチーフの羅列によって構成されたものが多く、それに合わせて家具の構造も一見無骨に見えるほどに物質として独立しており、実際に使用したときの便利さや身体になじむ感じというよりは、作品としての完成度を追求していたような感じを受けた。

現代的な文化の含蓄された目線で見ると、ごつごつしていたり、角が急につきすぎていたりと使いづらそうという印象を受けるが、実際に使用するというよりは、物体として、あるいは作品としてのそれとして見るとデザイン的な面白さがあり、寧ろこの辺りは同時代の立体彫刻として展示されているという側面もあったのかもしれない。

スーパーマッシヴなスケール

クリムトの作品としては、焼失してしまった『哲学』『医学』『法学』といったものの復元や、『ベートーベン・フリーズ』のような壁画の再現として写真をパネルに貼って展示されたものがあり、恐らく実際のスケールとして見るとなかなか迫力があり、『ベートーベン・フリーズ』が当時はかなり上の方に展示されていたこともこれと関係しているのではないかと思うが、どれも人間が遠近感や前後感を認識できるスケールを超えた大きさになっていて、特に『医学』の左側の女性の描写は、見てみると、高さの関係もあり女性の顔がぼんやりとして、実際に向こうから見下ろされているような感覚を受ける不思議な作品だった。

ヨーロッパの昔ながらの教会の高い天井に展示されている古い宗教絵画や彫刻もこのようなスケールを逸脱させるような展示の仕方をされていることが多いので、この辺りの作品はクリムトの作品としては当時はあまり評価されていなかったようだが、ラヴェンナのモザイク絵画といった古い宗教画の影響を受けたらしいクリムトらしさというものがここにあったと感じる。

そこには鑑賞者に理論的理解を超越した感覚を喚起させるシステムーというか、一種のトリックのようなものがあったと思うけれど、個人的には、金箔の装飾師の家系としての彼の在り方として、パトロンの肖像画や神話的逸話を描いた作品よりは、このようなスケールの大きな作品が合っているのではないかと思った。

フィジカルの不在

ただ少し気になったのはグスタフ・クリムト自身のタブローの少なさで、焼失されたものや壁画といった展示不可能あるいは困難なものは仕方がないとして、『黄金の騎士』も本美術館の常設展によく飾られている作品ではあるけれど、クリムトの展覧会でありながら、他美術館の常設展示作品として所蔵されている作品や、ほんの少し初期作品などが展示されているだけで、クリムトのその他の代表的な作品や、あるいは一定の評価のある風景画の作品も一点しか展示されていなかったりと、ヴォリューム的には少し物足りない感じを受けた。

体系的な絵画としてのコンテクストとしてのフィジカル的要素があまり必要でない版画や、(タブローの記録としての)写真の展示ならば、基本的には図版を見ているのと変わらないので、展覧会で見る必要性がそれほど大きく感じられないのではないかと私は思う。

ロンドンのテート・モダンの常設展で見たオーセンティックというかある種ベタとさえ言えるぐらいのタブローの羅列にやはり感動した自分の体験もあり、やはりペインティングの作家であればその完成されたペインティングが何を語られているのかを生で体験したいと思うのは当然のことで、その辺りはやはり作品の単価の問題なのか、よくわからないけれど、少し残念に思った。(※注)

ただこうした絵画作品としてのある種の「弱さ」というか、壁に作品を貼り付ける“だけ”という形式のもつ脆弱性というのは以前に『絵画の庭』という中之島での展示を見た後にも感じたことがあって、もしかしたらそれは日本の美術館の展示が持っている特徴なのかもしれない。

※注)この点について、私の大学の先生にお伝えしたところ「傑作をたんともつパリ、ロンドン、ニューヨークのメガ美術館以外は、どこの国であっても傑作をかき集めることは基本的には困難です」と尤もなご意見をいただいたので、あくまで「こうだったら良いのにな・・」という鑑賞者の無責任な感想です。

私はグスタフ・クリムトというアーティストが以前からあまり好きではなくて、興味を持って見ていなかった節があったけれど、彼の壁画に見られる大きなスケールの良さというのを実際に体験して、その迫力に触れるとまたクリムトという人物像が変わった目線から見ることができたので、その点ではとても面白かった。

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