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今までのハンドボールクラブ指導歴:勝利は「目的」なのか「目標」なのか

大中小小(時々高、のちに保)

私は、某国立大のハンドボール部出身の一社会人です(教職や学校関係の職種ではない)。選手としての華やかな記録は全くありませんが、日本スポーツ協会のハンドボールコーチ1の資格を持っています。札幌で学生時代を過ごしたのち、就職で茨城県つくば市へ移住しました。現在は転勤で再び札幌に戻っています。

今札幌で、小学生チームの監督、市立中学校ハンドボール部(男女)の外部コーチ、出身大学ハンドボール部の外部コーチ、の計4チームに関わっています。また、家族の住むつくば市で、もう一つの小学生(+未就学児から大人まで誰でもOK)のハンドボール教室の運営を行なっています。加えて、移り住む前に外部コーチをしていた中高一貫校のハンド部(中高×男女=4チーム)と、つくば市の中学生クラブチームにも、時々お邪魔しています。

合計でメイン2、サポート3、スポット参加5、の計10チームに関わっています(2022年現在)

さらに、新型コロナ禍になる以前のつくば市在住時、ソロ活動として市内の保育所で「ボール遊び」のイベントを毎月数回、行なっていました。3歳児(年少)から5歳児(年長)クラス対象にボールを使ったいろんな遊び方を紹介する、というものです。5年間ほど続けて休止していますが、新型コロナの感染状況が落ち着いたら再開する予定です。

これ以前は

コーチを始めた当初は、隣の市の別の中学校の男女ハンド部をみていましたが、その地域の社会人チームを母体に小学生チームを立ち上げたのが、自身のチーム運営の始まりでした。
また、前述した中高一貫校の指導と並行し、当時高校生だった長男が所属するハンド部に専門の指導者がいなかったため、そこもスポットでサポートしていました。
さらに当時小学生だった次男が通っていた児童館のミニスポーツクラブでドッジボールを指導しつつ、時々ハンドボールを紹介してました。この活動が、現在つくば市で運営しているハンドボール教室の発足につながっています。

「何のために」?

最初の小学生のクラブを作ってからしばらくして、保護者の方から「うちの子、練習が楽しくて仕方がないみたい」という話を聞きました。その時は、ああ良かったですねー、くらいに思ってました。その後、子供達が上達するにつれて、大人が大会成績を求めるようになりました。試合会場で大人たちの怒号が飛び交うたび「あれ?何のためにこのクラブを立ち上げたんだろう?」と思うようになりました。

また、当時私は中高一貫校でも並行して指導をしていました。そこの生徒は中学受験のためにゴールデンエイジに運動していない場合が多く、運動が苦手な子ばかり。大会で他チームに圧倒される試合展開になることもしばしばです。ボロボロに負けるたび「勝利に見込み薄なチームに毎日のように顔出しているのは何のため?」と考え込んだこともありました(私なりに功名心もありましたし)。

「目的」なのか「目標」なのか

そんなとき、ふと「練習が楽しくて仕方ない」と言っていた子のことを思い出しました。シュートを決めたり、相手をかわしたり、キーパーがシュートを止められたり、そういう一つ一つのささやかなプレイがうまく言った時が楽しいんだろうな、と。それを自由にできるようになっていくことが楽しいんだろうな、と。大歓声で包まれるアリーナであろうと、誰も見ていないグラウンドであろうと、子供(選手)のプレイ体験そのものに価値があると気がつきました。それを機に、一貫校での指導に悩まなくなりました。同じころ、大会には参加せずプレイを楽しむことだけに全精力を注ぐ新しい小学生チームを作りました。

未就学から大学まで、多くの年代や競技レベルでの指導を行なったことから、「あらゆる年代ステージで自由にハンドボールを楽しめるようにする」ことが自身の指導の目的となりました。少なくともジュニア世代においては、大会成績は(選手の)「目標」であっても(指導者の)「目的」にしないのが良いと考えてます。選手には敢えて大会成績を「目標」として意識させることもありますが、成績の賞味期限は短いです。そんな刹那的なものを目的にせず、目標を目指す過程で得られるもの自体を「目的」としていきたいです。

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