消費されるコンテンツに貴賤はない!

 漫画、ゲーム、小説、Youtube、映画が好きだ。どこが好きなのか考えてみると、誰かが作ったストーリーに感動することが好きだ。つまり、ストーリーに感動することが好きで、その際によく使う手法が漫画などだ、と言うこともできる。これらの本質はコンテンツの消費であり、私の消費スタイルにあった媒体がそれらだったということだろう。

 NieR:Automata(SQUARE ENIX)というゲームをプレイしたとき、ストーリーが非常に面白く、まるで映画みたいだな!と思った。そこで、映画もゲームも根っこは一緒で表現方法が異なるだけなのでは、とも思った。小説家は文章で心情や情景の美しさを表現し、漫画家はさらに絵を用いることで視覚的な面白さを表現しているが、「面白いストーリーを作る」という入口はみんな同じなのかもしれない。

 上記のように漫画と小説を一括りにすると、弊母などは「小説と漫画が同じだなんておかしい!社会人なら新聞を読みなさい!」と言うかもしれない(いや、言うだろう)。ここで私は弊母に言いたい。結局同じだから!大人がやっていることと、俺がやっていることの中身は一緒だから!時代の流れでコンテンツの消費方法に多様性が生まれただけだから!漫画が下賤で小説が高貴だなんてことはない!消費されるコンテンツに貴賤はない!

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