【今日コレ受けvol.003】城の崎にて

『城の崎にて』を読んだ時の衝撃は、今でも体の奥にしっかりと残っている。

中学生だったか、高校生だったか、そこは定かではないのだが、私は一番廊下側の後ろから2番目の席に座っていた。国語の時間。各々が静かに教科書を読んでいた。

きれいな文章。

そう思った。ひんやりとして、文中に出てくる清らかな流れのような、透明な文章。美しかった。

文学、というものに触れた最初の経験だった。
それまでに読んできたミステリーやエンタメ小説とは明らかに違っていた。

天気は良かった。けれど、私の席は陽が当たらず、少し暗く底冷えがしていて、城崎の夕刻の空気をより感じられたことも影響したかもしれない。静まり返った教室で、一人、興奮していた。それは、文学との出会いであり、初めて文章、文体の美しさに触れた瞬間だった。

帰ってすぐに、父の書斎に入り、絶対に触ってはいけないと言われていた書棚から志賀直哉を探し出して、盗み読みした。バレないようにきっちり元に戻したつもりだったが、その日のうちに父に「何、読んだ?」と聞かれた。怒られるかと思ったが、「志賀直哉」と答えると、父は「そうか」とだけ言った。少し嬉しそうだった。

イモリの、衝撃的な顛末にもショックを受けた。それまで読んできた物語は、勧善懲悪かハッピーエンドと相場が決まっていた。不意な死。助かった私。呆然とした。

理不尽。儚さ。虚無感。
それを語る言葉は、淡々として、清らかさが際立っていた。


それから数年後、父が亡くなった。スキルス胃がんだった。真面目で、常に摂生に努め、その年の健康診断でも何一つ問題がなかった男は、「最近ちょっと胃の調子が悪いなあ」と検査を受けたわずか半年後、あっという間に逝ってしまった。本人にとっても、家族にとっても、不意な死、だった。

そして死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。しかし実際喜びの感じは湧きあがっては来なかった。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。

『城の崎にて』(志賀直哉)

告別式の最中、私は小説の一節を思い出していた。

泣き崩れてまともに立っていられない母。参列者に「あの声を聞いてもらい泣きした」と言われるほどに慟哭している妹。その間で、私はほとんど涙を見せず、参列者に冷静に応対していた。

ポジティブとか、前向きとは少し違う。楽観的?
そうね、確かに。見ず知らずの土地に放り込まれ、知り合いもお金もない状態でも、毎日1000円拾えるから大丈夫くらいには思っている。

その根拠のない自信は、ポジティブなのではなく、諦観からくる強さなのだと思っている。


毎朝7時に更新、24時間限定のショートエッセイCORECOLOR編集長「さとゆみの今日もコレカラ」。「朝ドラ受け」のように、その日の「今日もコレカラ」を受けてそれぞれが自由に書く「遊び」です。

ほっちゃれと雨の日文庫【さとゆみの今日もコレカラ/003】


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