衣服とデジタルのたとえば
特に若者にとって衣服は自分を着飾るものだったけど、同価以上のものとして自分のソーシャルメディア・プロフィールを今は着飾る。見逃してならないのは、それも自分そのものであるということ。つまり、自分を着飾る対象が服からデジタルにシフト(もっというと代替)しうるということ。デジタル上の着飾った自分も含めてリアルである、ある人から見て、それはたとえ実物と異なるような存在だとしても。
先日、Johanna Jaskowskaが手がけた、ブロックチェーンも利用してつくられたデジタルドレスが100万円で落札された。
デジタル上の自分はアバターもその範囲であり、GUCCIはアバタープラットフォームのGeniesにバーチャルアイテムを提供している。
もし、デジタルの世界で自分を着飾ることが満たされるとすると、一定割合の人にとって物理的な衣服というものは、これから保護的な意味しか持たないかもしれない。もしかしたら、身体拡張としての衣服だとか、体をよくするヘルスケア衣服だとか、そういうものかもしれない。そんなことを思うと、ますますファッションデザイナーのフィールドはこれから格段に広がって行く。変化して行く物理的な衣服を軸にしたフィールドもデジタル上の装飾的な世界も。
着物をきていた時代と現代の衣服の連なりが想像できるだろうか。同じように、今の衣服も、未来の衣服からは想像できないミッシングリンクなものなんだと思う。SFの世界では体にピタッと張り付いた銀色なスーツのようなものを連想する。”未来的”となんとなく思うその姿は、現実とはかけ離れているからこそそう思ったりもする。あながち、そういう風になっていくものなのかもしれない。
カメラ(写真)が世の中に登場する時、世界から絵がなくなると思われていたらしい。実際、肖像画のような記録的なものは影響を受けたかもしれない。ただ、それを契機に絵の世界はより創造的に、より自由なものになり、近現代絵画の発展につながったとも言われる。印象派だとかシュルレアリスムだとか。そんなことを思うと、衣服の世界にも起こりうるデジタルシフトの中で、衣服、そしてファッションはもっと解放されていく。