もう変えよう、諦めていた未来を
いったいいつから私たちは、諦めて済ませるようになったのだろう。
上がり続ける光熱費を支払うために、欲しい服を買うのを諦める。
中身の少なくなったお菓子を、まあこんなものだろうと諦める。
なかなか良い職場に巡り会えず、食べていければいいかと諦める。
自由に使えるお金が少ないから、読みたい本を買うのを諦める。
ハンディキャップを抱えることで、映画館に行くのを諦める。
なぜか制度に認められないせいで、好きな人との結婚を諦める。
二人で生きていくだけで精一杯、こどもを産み育てるのを諦める。
老後の暮らしが不安だから、新しいことに挑戦するのを諦める。
でも、そうやってちょっとずつ諦めてきたものごとは、
じつは一人一人にとってはかけがえのない生活そのものではないのでしょうか。
日々暮らすなかで自分だけでは出来ないこと、諦めるしかないことがたくさんあるから、私たちは共に生きている。
そんな私たちの生活を支える社会の、土台をつくっているのが政治のはずだった。
だけど今や政治に期待している人は少ない。
政治なんてそんなものでしょ、どうせ選挙に行っても変わらないでしょ、まさに諦めの声が聞こえてくる。
ところが、昨今もはや明らかになってきたのは、あまりにも腐敗しきった政治の姿です。
たびかさなる裏金。あからさまな癒着や中抜き。特定の思想への偏りやカルト宗教との絡み。
情報を黒塗りにする。嘘がバレても開き直る。丁寧な説明と言いながら採決を強行する。
説明を求めてもまともに答えを返さない。批判する人々の声を聞こうともしない。
こうした政治の態度こそが、私たちに諦めを強いてきたのではないでしょうか。
いったいいつまで私たちは、生活を諦めなければいけないのか。
どうして私たちの政治を、諦めさせられなければならないのか。
政治を変える大きなチャンスが、選挙です。
自分ひとりではどうにもならないから、私たちの力を集めて変えるんです。
暮らしの困りごとがあるなら、生活を支えるアイデアを持つ人に投票しよう。
将来への不安があるなら、循環する社会を提案する人に投票しよう。
今の政治がおかしいと思うなら、しっかりと批判してきた人に投票しよう。
良いものは引き継ぎながら、変えるべきところは変えてくれる人に投票しよう。
自分らしく生きたいなら、多様な生き方を肯定する人に投票しよう。
政治のことがよく分からないなら、政治をオープンにする人に投票しよう。
異論を排除する人ではなく、私たちと同じ目線に立ってくれる人に投票しよう。
政治を変えれば、生活が変わる。生活が良くなれば、未来も良くなる。
私たちから変えましょう、諦めていた未来を。
2024年7月7日は、東京都知事選挙。
7月8日 結果をふまえて
昨日までは正直、オルタナティブな本屋であり続けられればいいやと思っていた。
だがよく考えたら本屋が成り立つには、まず何よりも言論と表現と出版の自由があって、同時にその社会のなかに知性を求める人々がそれなりに存在する必要がある。そして…
歴史を振り返れば我々の人権とは、数多の人々が支配者を批判し、時に弾圧されながらも闘い抜き、その末にようやく勝ち取ってきたものではないか。
今こうして様々な本を読めるのも、世界中の情報に触れられるのも、知性を渇望し知性を磨き知性を紡いできた人々が、古今東西に居たからではないか。
差別やハラスメントや汚職が続くことも当然に問題だが、それ以上に諦観や冷笑や反知性主義がまかり通るならば、そう遠くない未来に本屋など存在し得なくなってしまう。
少なくとも私はそんな未来は嫌だ。たいしたことはできないのかもしれないが決して諦めはせず、平和に闘うための知性を、喜びと共感にあふれた知性を、皆のもとへ確かに手渡していきたい。