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第十章 「ソヴィエト」権力:その現在と未来

原文:http://www.spunk.org/texts/writers/makhno/sp001781/chap10.html
初出:Bor'ba(闘争)パリ、第19~20号、1931年10月25日、W-2-3

多くの人々、特に左翼政治家が「ソヴィエト」権力を他とは異なる国家権力だと見なしがちなのは確かだ。ただ、この違いを最高のバラ色で描いている:

彼らは言う。「ソヴィエト権力は労働者と農民の権力であり、故に、その先に偉大な未来が待っている。」

これほどバカげた主張はない。「ソヴィエト」権力は他の権力と大して変わらない。現在のところ、あらゆる一般的な国家権力と同じぐらい不安定で不条理を抱えている。ある面では、他の権力よりもさらに不条理である。「ソヴィエト」権力は、ロシアの政治的支配を完遂し、経済資源の比類なき支配者になった。そして、下劣な搾取情況に満足せず、内側からこみ上げる欺瞞的な精神的「完成」の感情を感じ、この感情をロシアの革命的勤労大衆に広めようとしている。これが、そのプロレタリア「精神」を革命的ではなくし、一層厚かましいものにした。つまり、騙された民衆に対して、自らが精神的主人だと押しつけようとしているのである。この点で、「ソヴィエト」権力はあらゆる国家権力が持つ際限なき無責任な厚かましさに忠実である。公然の秘密だが、この政権の「完成」なるものは、その助言者たるボルシェヴィキ共産党の完成に過ぎない。これら全ては勤労大衆に対する見え透いた嘘・卑劣な二枚舌・犯罪的厚かましさに他ならない。ロシア大革命を成し遂げたのは、勤労大衆の名においてであり、勤労大衆のおかげだった。目下、勤労大衆は当局に鞭打たれている。党の特権と少数のプロレタリア階級の利益のためだ。党の支配下にいた少数のプロレタリア階級は、ロシア大革命を「プロレタリア」国家・「プロレタリア階級」独裁という何も知らない人を魅了する名称と同一視できると信じていた。少数派は、それにも拘わらず、この党が付けた馬勒に引きずられるがままになっている。少数派は沈黙し、この件について一言も口にせず、裏切って捏造された過去の成果と現在進行中のでっち上げについて手短に説明される権利を奪われている。こうしたでっち上げは、プロレタリア階級の同志達、盲目でいることを・物言わぬ手先になることを拒否し、プロレタリアを装った党の嘘を飲み込めない人達に対して行われているのだ。

それでも、勤労者に対するボルシェヴィキ当局のこうした行為は「精神的」教育の領域では別な形で現れるのではないかと思うかもしれない。そうならざるを得ないだろう。その証拠に、ソ連の労働者に革命的意識が持続し、これが政権にとって深刻な不安の源泉となっており、ボルシェヴィキ党はそれを綱領の型にはめて造った政治意識で置き換えようとしている。

この要因が、ボルシェヴィキ当局がさらに多くの困難に直面している理由、そして愚かにもその経済的・政治的独裁を労働者の精神的支配で仕上げようとしている理由を説明してくれる。言うまでもなく、政権の現在の苦境が将来の見通しを大きく決定する。つまり、明らかに好ましい現在がなければ、将来が不確実性で満ちるのだ。事実、現在の情勢は、数百万人の労働者にとって明らかに好ましくないため、ボルシェヴィキ-共産党秩序に対して血なまぐさい蜂起と革命がいつ勃発してもおかしくないと予想できる。当然、あらゆる革命家はソ連労働者の蜂起主義的革命精神を支援するはずである。しかし、この支援を反革命家と勤労者の敵の食い物にさせはならない。したがって、この支援は、党員と従僕の特権のために設けられた現在の無意味で無責任な秩序の破壊だけを目的にしなければならない。

この政権の狂気を排除し、搾取されている労働者にとって不可欠な諸原則で置き換えねばならない。各人の、つまり、本物の解放に関わる全ての人の、連帯・自由・平等な意見に基づかせるのである。この問題は、あらゆるロシア人革命家に関わっている。私の考えでは、亡命中であろうとソ連国内に居ようと、誰もが第一にこの問題に関わらねばならない。革命的傾向を持つあらゆるプロレタリアも知識人も同様である。さらに付け加えるなら、ボルシェヴィキ政権の敵対者や政治的逃亡者も、それが真に革命的な考えによるのであれば、皆関わらねばならない。

これが私の見る「ソヴィエト権力」の現在と未来、そしてあらゆる党派のロシア革命家が「ソヴィエト権力」に対して採らねばならない立場である。私の観点では、革命家がこの問題を別な形で提起するなどあり得ない。革命家は理解しなければならない。ボルシェヴィキ権力と戦うのであれば、ボルシェヴィキが権力奪取のために利用し明言していた価値観を最大限誇示しなければならない。ボルシェヴィキは、何の誠意もないくせに、この価値観を擁護すると未だに公言して憚らないのだ。

さもなくば、革命家の闘争は、ボルシェヴィキ-共産党に騙され抑圧され搾取されている数百万の勤労者の大義にとって、革命がどのような犠牲を払おうとも欺瞞と抑圧の悪循環から抜け出す手助けをすべき労働者の大義にとって、反革命とは言わないまでも、少なくとも何の役にも立たないと判明するだろう。

(アレクサンドル=スキルダによる註:この論説は、反スターリニスト・反トロツキストのソヴィエト逃亡者集団が出版した。彼等は、1917年の自由ソヴィエト権力・1921年のクロンシュタット反乱者の要求への回帰を論拠に、ボルシェヴィキ政権とは距離を置いている。この雑誌の主導者はグリゴリー=ベセドフスキーだった。彼はウクライナの前ソヴィエト外交官で、パリのソ連大使館を衝撃的に辞め、スターリニスト政権の腐敗の糾弾に身を捧げた。1930年にパリで出版された彼の著書『Oui, J'accuse!』を参照していただきたい。)

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