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5月1日に向けた国際労働者協会(IWA)の声明

原文:https://iwa-ait.org/content/iwa-statement-may-1
原文掲載日:2022年4月28日

IWAの同志諸君、
私達の闘争に心を動かされている人達、
世界中の革命的労働者へ

国際的な労働者階級の日に際し、皆さんに呼び掛ける。この日は記念と追悼だけでなく、集会・省察・行動の日でもある。

今年の5月1日は特別だ。今年で私達の協会は100年を迎える。世界の労働者が連帯した同盟が誕生して一世紀、1922年のベルリン大会から一世紀経った。

当時の大会に参集した労働者組織は、第一インターナショナルが消滅した後も、そのモットー「労働者階級の解放は、労働者階級自身で勝ち取らねばならない」を拡散させた。ベルリンに集った人々は、政治政党からの独立を宣言しただけでなく、自分達は政党の不倶戴天の敵だと宣言した。当初からIWAは、社会変革に向けた独自の闘争ヴィジョンを持ち、徹底的社会改革の価値観・原則・計画と共に、変革力ある労働組合主義を推進してきた。

IWAの様々な創設支部は社会民主主義政党を拒否した。こうした政党は第一次世界大戦に参加する国家の軍国主義を擁護していた。また、創設支部はソ連にも敵対していた。ソ連は、国際労働運動を統制してプロレタリア階級独裁の支配下に置こうとしていた。

私達のインターナショナルの本質をこれまでも、そして現在も定義しているのは、まさにこの反軍国主義・反権威主義の性質である。

反軍国主義は私達の遺伝子の一部である。私達は反軍国主義者である。軍国主義は、資本主義のもう一つの表現に他ならない。だから、私達にとって、戦争を促し、戦争を培養する社会的・経済的秩序を拒絶せずに、戦争を拒絶するなどあり得ない。

私達は国際主義者である。民衆同士で戦争をしてほしくないからだ。民衆間の戦争は階級間の平和を保証するからだ。私達は、あらゆるナショナリズムの敵だと宣言する。ナショナリズムは、資本主義が戦争機械の動きを滑らかにするために必要な潤滑油だからである。まさにナショナリズムのおかげで、エリートは疎外された人々に自分達との一体感を持たせ、権力者の利益を守るために進んで銃を手にするようにできるのだ。

今日、私達は、民族間の平和というメッセージを拡散すべくロシア連邦のIWA支部の活動に焦点を当てようと考えている。彼等も私達も皆、極度に難しい仕事に立ち向かっている。

そして、資本主義を同時に廃絶しない限り、戦争を終わらせる道はない。

メディアは国家の脚本に従い、限定的な精神的枠組みを創り出す。この精神的枠組みにあるのは敵対する枢軸・双方の動機・双方の利益だけである。これが示す分析要素には、戦争を促す社会秩序を疑問視するようなものは全くない。ゼレンスキーにつくか、プーチンにつくかどちらかだ。

ウクライナに武器を送ることに反対ならば、自動的にロシア国家の利益を擁護していることになってしまう。

資本主義の精神的枠組みの中では、さらに多くの戦争があって初めて一つの戦争は終わる。爆撃を止めるには、さらに多くの爆弾を使うしかない。資本主義の平和など、本来の意味でのユートピア(どこにもない場所)なのだ。

資本主義は、NATOのような軍国主義同盟を使って平和を保証するふりをする。しかし、平和を達成できるのは、正義だけである。正義が正義となるのは、社会正義に関わっている場合だけだ。

まさに、ナショナリズムは個人を混乱させ、国の一部だからこそ人間には権利があるのだと考えるように仕向ける。だから、ナショナリストは、個人の権利よりも国の権利を守り、個人の正義よりも国の正義を重視するのである。

ナショナリズムは、人間の自然な感情を利用し、個人を母国の戦いに動員させる。ナショナリズムは、自分が知っているものを愛し、自分が知らないものを恐れる人間の自然な傾向を利用する。人々が万人に共感する能力を制限し、決められた一定集団だけに共感するようにさせる。

これらの決められた集団は、エリートのニーズに応じて作ったり作らなかったりできる。国の建設など全く恣意的なプロセスなのだ。

全ての人は、生来、同じ言語で話し、同じ地域に住み、同じ神を信じる人と一体感を持つ。こうしたあらゆる個人の帰属化要素を選択的に利用して、ナショナリズムは国民性を創造する。

ナショナリズムは、こうしたアイデンティティの錯覚を使って、ナショナリズムに感染した個人を、「我等」と「彼等」に分断された世界に住まわせている。

だからこそ、戦争で私達が常に負けるのだとナショナリストに納得させるのは極度に難しい。戦争のドラマは、塹壕の両側のドラマだからだ。戦闘で殺された18歳の息子を埋葬する母親の痛みは、モスクワでもキーウでも同じである。どちらの兵士の死も等しく不条理だ。それにもかかわらず、一方は攻撃者から身を守り、正当防衛をしただけだと考え続ける人々がいる。だが、攻撃する側とされる側について語れるのは、「我等」と「彼等」という精神的枠組みの中でだけだ。

最終的に、それは常に「我等」、労働者、民衆に関わっているからである。話されている言語・住んでいる土地・自分達を支配している法律は関係ない。私達は、手の力と心の知性だけで存在に直面している兄弟姉妹である。「彼等」がいるとすれば、それは、私達を搾取し、単なる生存を強いている人々である。

「我等」が兄弟同士で塹壕の中で対決する時、勝者は「彼等」だけである。空襲警報が鳴っている時に武器を売っている人々、爆撃が止んだ後に高速道路を再建する人々が勝つ。彼等は破壊して勝ち、再建して勝つ。彼等は常に勝つ。戦争が長引けば長引くほど、このビジネスで彼等はさらに儲ける。そして、私達は常に負ける。息子達も孫娘達も負ける。

やって来る者は負ける。戦争は憎しみを生み、憎しみはナショナリズムを生み、ナショナリズムは戦争を生み、戦争は憎しみを生むからだ。ナショナリズムがある場所で、人々が隣人とではなくエリートと一体感を持っている場所で、階級闘争の余地はない。階級闘争がなければ、より良い未来の希望もない。違うと思うなら、IWAセルビア支部の同志達にバルカン半島で何が起きたか尋ねてみればよい。

私達が良い国家と悪い国家があると考え続けるなら、攻撃を受けた国を助けるために何百万ドルもの武器を送りながら、発展途上国の命を助けるためにワクチンを送らない世界に住み続けることになろう。良い難民と悪い難民を区別し続けるだろう。IWAポーランド支部の同志達が熟知しているように、一部には門戸を開けながらも、一部を国境で殴りつけるだろう。

残念ながら、適量のプロパガンダがあれば、良い国家は良く見え続ける。その国家が極右と同盟していようと、全体主義で女性差別的な政権と取引しようと、刑務所で拷問し続け、社会的不公正に対して反乱を起こす人々を迫害し続けていようとも。

プロパガンダは、良い国家が民衆の権利と生活を保護してくれると信じさせる。ロシア侵攻に抵抗する人々は英雄だが、カザフスタンの青年達は今年初めに容易く銃殺されてしまった。このロシアの主要同盟国には何の制裁も課せられていない。ちなみに、ロシアはこの隣国の反乱を弾圧すべく軍隊を送っていたのだ。

要するに、資本主義は戦争であり、資本主義が資本の利益を守るためにナショナリズムを使って民衆を動員することを考えれば、明らかに、平和への最良の投資はナショナリズムとの日々の戦いなのだ。

これが国際労働者協会の真の意味である。万国の労働者の連帯実践を促すことは、国家が私達に押し付け、私達を隷属し続けている精神的障壁を克服する手助けとなる。IWA支部間の日常的な国際連帯実践によって、私達が構築したいと願っている世界は近づく。日常生活で、私達は組合を強化する機会を、自分達の価値観を実践する機会を持っているのである。

100周年を迎えられたことを誇りに思うと共に、私達のような組織に属しているのは名誉なことだと述べて結語とすることもできよう。だが、誇りと名誉は兵士のものであって、より良い社会を求めて闘っている人々のものではない。

私達は誇りを感じるのではなく、喜びと希望を感じる。誇りは、私達と同じように考えない人々に対する傲慢と道徳的優越感である。私達は、ルドルフ゠ロッカーが属していた協会に属しているため名誉に思っているのではない。重要人物を崇拝するのではなく、そうした人物の献身に対して健全な称賛を感じる。その貢献を高く評価し、必要ならば、その誤りを批判するのである。

自分達の正直さが知られ、認められるように努力しよう。仕事仲間に対しても、プロパガンダ行動においても、正直でいよう。自分達の限界と弱さを意識しよう。私達は完璧ではないし、望むような強さを持っているわけでもない。だが、私達は信頼できるのだ。

忘れないようにしよう。私達は、買ったり消費したりできる製品を売っているのではない。群れのために新しい羊を探しているのでも、エゴを満たすために信奉者を探しているのでもない。理性的信念に従って生活し、闘っているだけである。私達は約束しない。行動する。

私達アナルコサンジカリストは、可能性を求めて闘うのではなく、公正を求めて闘う。私達は、予言者のように、革命の到来を約束しない。自分達なりの日常闘争方法を使って、公正な社会関係を構築するために政府・国家・法律・神はいらないと日々証明するだけである。自主管理と直接行動の実践によって、私達が心に抱く新世界を実現するのである。

労働者の国際連帯万歳!
国際労働者協会万歳!
民衆同士の戦争は止めろ、階級間に平和はない!
資本と国家に死を!
社会革命万歳!
アナーキー万歳!

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