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戦争と宗教「仏教の大東亜戦争」

「仏教の大東亜戦争」鵜飼秀徳著・文春新書2022年7月発行

著者は1974年生まれ、新聞記者を経て、現在、浄土宗正覚寺住職。「仏教抹殺」「寺院消滅」の著書がある。

本書は、浄土真宗、日蓮宗、曹洞宗各宗派トップが競争しながら、戦争を煽り、不殺生の教義を曲解、「皇道仏教」の道を邁進する。仏教界のタブーを明らかにした書である。

「皇道仏教」とは「天皇は阿弥陀仏である」と主張し、天皇を支え、国体を護持する仏教をいう。

昭和初期から仏教の変質が始まり、1931年満州事変から皇道仏教は本格化した。

日中戦争がはじまると、従来の植民地支配のための従軍布教から、自ら武器を持って、戦闘参加する僧侶義勇兵が誕生した。

思想の基礎は、「一殺多生」を目指し、田中智学の「自らの命を犠牲にして、国の柱とならん」との「国柱会」思想に通じる。

日蓮宗僧侶・井上日召は「血盟団」を創設、井上準之助、団琢磨を暗殺する。

浄土真宗本願寺派門主・大谷光照は昭和天皇の従兄弟。真宗大谷派とともに戦闘機献納、軍艦建造寄付競争を展開した。

大東亜戦争末期、武器不足から梵鐘、仏像の武器転用が進み、全国寺院の梵鐘4万7,000口が徴収された。これは全寺院の9割近くに当たる。重要な文化的資産である仏像も多く破壊、徴収された。

仏教の衰退は、明治維新の廃仏毀釈と明治22年明治憲法「信教の自由」の明文化からスタートした。

江戸時代、檀家制により幕府の保護下にあった仏教は、「国家神道」成立から自己防衛のために、権力に寄り添う「国家仏教」へ変質していった。

維新直前の文久3年、東西本願寺各派はそれぞれ1万両を朝廷側に献金する。維新後は、岩倉使節団に西本願寺派・島地黙雷を同行させ、木戸、伊藤、井上ら明治政府幹部との密着化を図る。

明治24年、札幌農学校教師・内村鑑三が「明治天皇直筆教育勅語」拝礼を拒否する「内村鑑三不敬事件」が発生。仏教界は内村を批判し、キリスト教排除と仏教の国家主義化を目指した。

日清、日露戦争を経て、仏教の帝国主義化が進んだ。愛国婦人会の設立、朝鮮植民地支配に仏教界は全面的に協力し、大東亜戦争貫徹へ邁進していった。

それは国家と仏教の共存関係を維持させ、新しい「仏教教義」を創出させた。

一つは「真俗二諦の仏教」あの世の真理とこの世の真理はお互いに影響し合うのが正しい仏教であるという考え方。

もう一つは「皇道仏教」即ち天皇、国体を支える仏教こそ本当の仏教という考え方である。

1990年代、真宗教団が戦争責任を認め、自己批判を実施した。それは全面的な仏教教義の自己批判でなく、国家権力との密着化という行為の自己批判に留まった。

統一教会にみられるように、政治、国家権力との関係強化による自己防衛本能は他の宗教においても同様である。

信教の自由は明治憲法でも明確化された。政治、行政と宗教の関係は国民自身のチェック体制、監視体制の整備にかかっている。政治に白紙委任させれば「大東亜戦争と仏教」の同じ失敗が繰り返されるだけだろう。

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