靖国史観・日本思想の本質
「増補・靖国史観・日本思想を読みなおす」小島毅著・ちくま文芸文庫2014年7月発行
著者は1962年生まれ、元東大大学院人文社会科教授、専門は中国思想史。
靖国史観とは何か?それは靖国神社の成り立ちを見れば明らか。三士修平著「靖国神社の原点」に成り立ちが記述されている。
1862年(文久2年)勤皇の志士・福羽美静らが京都霊山で同志の追悼の「招魂祭」を神道式で実施、倒幕の誓いを新たにした。一種の御霊信仰の流れである。
1868年(慶應4年)6月、薩長軍が江戸制圧。江戸城大広間で新政権樹立のため犠牲になった者を天皇の忠臣として祀る「招魂祭」を実施した。
1869年(明治2年)6月、大村益次郎発案で九段に招魂施設を建設、神社化(東京招魂社)した。1869年(明治12年)6月、戊辰戦争、西南戦争戦死者顕彰を目的に「靖国神社」に改称した。
日清、日露、第一次世界大戦と国家間戦争での戦死者を祀る国家的神社となった。
即ち、天皇のために戦い、戦死した者を祀る神社。西南戦争の西郷隆盛は祀られていない。戊辰戦争の新選組、会津藩は反逆者として無視される。
勝てば官軍、負ければ賊軍も太平洋戦争で敗北。天皇の軍隊に敗北はありえない。
そのため天皇の戦争から正義の戦争(大東亜戦争)に変化する。天皇ためから国のために変質、天皇から日本へすり替えである。
本書は、①国体、②英霊、③維新、④大義の4章に分けて分析する。
国体の本質は天皇中心の国家統治。それが国体である。
国体論の出現は、ロシア革命、大逆事件、天皇機関説に影響される。1935年(昭和10年)国体明徴運動(国体明徴に関する政府声明)である。
即ち「天皇は廃位しても天皇を君主とする制度は揺るがない。日本の国体は神話以来、一貫して不変」という考え方である。
それは歴史家・平泉澄の皇国史観となり、一種の宗教信仰化する。信仰は政治、教育まで広がり、天皇政治の祭と政の一致を求める。平泉澄信者の最たる者が東条英機である。
立花隆は著書「天皇と東大」の中で言う。
東大二代目学長・加藤弘之は著書「国体新論」で「天下は天皇の所有物とは笑うべきこと」と書いた。これを海江田信義は批判し、加藤弘之は意見を撤回、著書を絶版とする。
一方、美濃部達吉は天皇機関説を貴族議員・菊地武夫に批判されても、説を撤回しなかった。立花はこれを学者と政治家の良心の違いと断言する。
英霊とは、会沢正志斎、藤田東湖から吉田松陰へ繋がる水戸学の死生観である。当人は死んでも英霊は滅びない。
英霊の言葉は、宋の宰相で元と戦い、刑死した「文天祥」が獄中で作った「正気歌」からきている。
朱子学の「理と気」の理論である。理のために死んだ者はその気を慰めることが必要と考えた。
「維新」とは、「単に新しいことを始めるのでなく、昔より由緒ある君主が天命を受け、天下を治める」漢時代の礼記・大学にある言葉である。
維新は政権交代の革命とも変革とも異なる。司馬遼太郎は明治維新を「革命」と勘違いする。日清、日露までの明治のかたち・成長史観、それが知らないうちに皇国史観に変化した。
「大義」の本質は「大義名分と忠誠」である。
儒教、朱子学そのものである。そして大義は正義に変質する。
そこにあるのは「男女の正しきは天地の大義なり。男は陽、女は陰」男尊女卑の思想背景がここにある。
春秋時代の春秋左氏伝は「大義は親子の情愛を超越する」と言う。忠義の重要性である。
大義に生きる皇室日本。皇室の近代化、日本精神の多様化は難しい。眞子さまは儒教的国家神道日本の犠牲者。その主犯者は日本国民。アメリカへの逃走は正解かもしれない。
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