「シニアになって、ひとり旅」
「シニアになって、ひとり旅」下川裕治著・朝日文庫2024年4月発行
著者は1954年生まれ、長野県松本市出身、学生時代登山部に所属、慶応義塾大学卒業後、新聞社入社も退職、独立後アジア、沖縄をバックパッカースタイルで旅を続け、旅ライターとして文筆業に入る。多くの著書を持つ。
著者はコロナ危機で旅行を中断した。2023年、古希70歳となるを契機にひとり旅を再開、本書は最新の旅エッセイである。
年齢、円安から海外旅行の気力は減り、学生時代の北海道カニ族経験を思い出し、苫小牧発仙台行フェリーに乗る。苫小牧仙台フェリーが就航したのは1973年。この年の11月、歌「落陽」が中野サンプラザ「吉田拓郎リサイタル」で初披露された。
「しぼったばかりの夕陽の赤が 水平線からもれている。苫小牧発・仙台行きフェリー
あのじいさんときたら わざわざ見送ってくれたよ。おまけにテープをひろってね 女の子みたいにさ
みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば、また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
女や酒よりサイコロ好きで すってんてんのあのじいさん、あんたこそが正直ものさ
この国ときたら 賭けるものなどないさ、あんたこそが正直ものさ」
ひとり旅の抒情が表現されている。フェリー、夕方発の船旅にピッタリの歌である。あちこち動き回るより、ゆっくりと船旅、これがシニアの旅かもしれない。
著者は若いころ宮沢賢治の町へ行った。思い出の花巻への旅。それも子供の頃、親に連れてもらった百貨店大食堂のカレー、ラーメンを味わい、思い出すために。
目的地は今も残る「マルカンビル大食堂」である。デパートはすでに閉店。しかしマルカンデパート6階に展望大食堂のみ残存している。食堂で食べて帰るだけの旅、それも良いかもしれない。
最後の章は尾崎放哉の小豆島への旅。放哉の墓と終焉の場となった「南郷庵」がある放哉記念館訪問である。
東京帝大卒のエリートが自由律とともに、酒で身を崩していく。プライドと自己嫌悪の交錯。妻にも見放され、寺男となる。
吉村昭「海も暮れきる」は放哉が小豆島に来て、結核で死亡するまでの10か月間の小説である。
有名な句。「咳をしても一人」など、この南郷庵で多くの句が作られた。
「春の山のうしろからけむりが出だした」「山に登れば淋しい村がみんな見える」庵の裏山から詠んだ句である。
南郷庵の裏山は現在「海蘆・かいろ」という立派なホテルが建つ。かつての面影はない。反対側、西光寺の丘の上に三重の塔「請願之塔」がある。そこから放哉に真似て、ワンカップ酒を飲む。ただそれだけの旅。
想い出と感慨に耽る。これも一つのシニアの旅だろう。いわば無目的の旅。しかし旅そのものを楽しむ。これがシニアの旅である。
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