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ジャーナリスト黒沢冽の「暗黒日記」を読む

「現代語訳・暗黒日記・昭和17年12月~昭和20年5月」清沢冽著・丹羽宇一郎編集・解説・東洋経済新報社2021年12月発行

著者の清沢冽(きよし)を知る人は少ない。私もこの本で初めて知った名前である。

清沢冽は1890年長野県安曇野市に生まれる。17歳で渡米、米国・ホイットウォース大学卒。シアトル、サンフランシスコの邦字新聞社に勤務後、28歳で帰国。中外商業新報、東京朝日の新聞記者を経て、リベラル・自主独立の主張を最後まで貫いた外交・政治評論家である。

解説の丹羽宇一郎は1939年生まれ、伊藤忠商事会長、中国特命全権大使を歴任、実業界では有数の読書家である。

本書は、清沢冽が戦時下、戦争に批判的な言論で「執筆禁止者」に指名され、発言の機会を奪われた。開戦1年後の昭和17年12月~昭和20年5月までの私的な日記である。

日記は昭和20年5月5日で絶筆となる。彼が5月21日、急性肺炎で死去したためである。55歳だった。

太平洋戦争の起点は、1931年9月発生した柳条橋事件による満州事変に始まる。石原莞爾らの統帥権侵犯から日中事変へ進み、300万人の犠牲者を出した太平洋戦争まで至った。

この日記で清沢は言う。「戦争の真実の追及、過去の検証なく、軍備強化を進めてはならない」その理由は「権限と決定、責任所在のあいまいさを受け入れる習性の日本人の国民意識にある」と。

更に「負けるとわかっても突進する熱狂、狂気のため、ゴール(目的)の無い戦争へ、戦争続行自体が目的となったと言う。

日本国民は「動物の血」によって行動する。それゆえに、日本人は戦争に近づいてはならないとも言う。

「日本国民は理性的リーダーが存在しても、戦争に近づく習性をもつ国民である」と嘆く。

「負けるとわかっている戦争を誰が続けると決めたのか?」メディアはこの質問に答えていないと批判する。

終戦の年、清沢冽は昭和20年1月1日の日記に次のように記述する。

「日本の最大の不自由は、国際問題で相手の立場を説明できない事だ。日本には自分の立場しか存在しない。この態度を変えない限り、日本は世界の一等国になれない。再出発はここからスタートしなければならない」と。

終章で解説者の丹羽宇一郎は「外交には武力が必要である」の主張に対して、中村哲氏の言葉で返答する。

「アフガニスタンに居ると『軍事力があれば、わが身を守れる』ということが迷信だとよく解かる。憲法9条は、日本に暮らす人々以上に、リアルで大きな力で僕たちを守ってくれる」と。

清沢冽は米国のヒューマニズム、人間性を期待していた。しかし戦争末期、昼間の空襲で米軍機が撃ち落されると、夜間の無差別空襲に変更された。戦争は人間を狂人とすると理解する。

真珠湾攻撃から80年、戦争を知る世代も減少した。この本は、戦争の真実追及、検証もなく、再軍備へ進む政治家、更に日中国交正常化50年、中国軍事脅威を主張する評論家に対する批判の書である。

丹羽宇一郎は、戦時中の国民、メディアの状況は現在の状況とよく似ていると言う。感覚の鋭さはさすがである。

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