「切腹の歴史」日本で最初に切腹したのは誰か?
「切腹の歴史・第三版」大隈三好著・雄山閣2023年7月発行
著者は1906年生~1992年歿の作家である。
日本で最初に切腹したのは誰だろうか?文書で確認できるもので最も古いものは平安時代の「播磨国風土記」の藤原保輔である。原因は盗みの果ての逮捕で翌日獄中で没したと言われる。
武士としての切腹は「保元物語」の源為朝である。1170年4月伊豆配流先の伊豆大島館で謀反に失敗による自決切腹、33歳の若さだった。
その後、鎌倉時代、南北朝45年の争乱記録「太平記」では多くの切腹の事例が記載されている。その数は1,000人以上となる。
戦国時代の切腹は十文字腹と言われる斬り方で、一文字腹より数倍の気力が必要とする。立った状態での切腹で武士の胆力を示すものである。
江戸時代になると切腹も形式的、儀式に移行する。ほとんどが介錯人による断首が先行し、刀も木刀を使うケースもある。介錯も「三段の法」と呼ばれ、刀を掴む時点、腹に刃を付けた時点、腹部に刺した時点に介錯を実行する。
多数人数の切腹は赤穂浪士の切腹、宝暦治水・木曽三川工事での薩摩藩士51名の切腹実行がある。維新直前の慶応4年、熊本・神風連の乱では110人以上が自決切腹した。
明治以降は乃木夫妻の明治天皇への殉死による自決がある。1945年8月、終戦時の大東塾生14名の割腹自殺が発生した。直近では1970年11月、三島由紀夫、森田必勝の割腹自殺がある。