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「訂正する力」東浩紀

「訂正する力」東浩紀著・朝日新書2023年10月発行

著者は1971年生まれ、出版社「ゲンロン」創業者、現在は評論家、専門は哲学。

自民党派閥の裏金問題が騒がしい。政治とカネは今に始まった話ではない。長年なんとなく変化もなく、自民党政治は続いてきた。政治、社会を「訂正する力」が日本国民にないのだろうか?

日本人に「訂正する力」がないわけではない。しかし「訂正する力」は上から与えられるものと日本人は勘違いしている。そこには日本人特有の思想風土が影響している。

丸山眞男は論文「歴史意識の古層」で述べる。日本文化は「つぎつぎに、なりゆく、いきほひ」に特徴があると。意味は「物事がなんとなく、自然に生まれ、つながっていく」という発想である。

日本人は自然生成性、主体性のなさを肯定する風土がある。この発想が日本思想、政治を動かしてきたという。日本に民主主義が育たないのも、共和制、革命を経験せず、欧米から移入した思想であるがゆえにある。

本書は、「訂正する力」とは過去との一貫性を主張しつつ、実際には過去の解釈を変え、現実に合わせて変化する力。過去と現在をつなげる力。それは持続する力、聞く力、記憶する力、読み替える力、正しさを変えていく力であるという。混沌とする現代こそ最も必要な力であろう。

日本人は「自然を作為する美学」にあこがれる。本居宣長は儒学、朱子学を批判し、中国輸入の「漢ごごろ」から「大和心」へ戻ろうとした。現在のリベラルと保守の対立と同じである。

親鸞の思想は自然に任せる思想である。ゆえに政治に利用される。日蓮は反対に政治を変える思想。ゆえに政治的にならざるを得ない。どちらが良いのでなく、思想の本質に気づくことが大事である。

このような日本思想の本質の中で、現代社会にどのように対応していくのか?今まで通りに人任せにしてきて良いのか?自分の頭で考えることこそ、今、必要ではないだろうか?


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