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10月のプールに入ったことある人だけ見てください

こんにちは。

今現在書いている9月末は寒い日が続いており、徐々に秋らしくなってるなぁなんて思っております。

どうも、制服のマネキンと申します。

そこの今読んでくださっているあなた。

貴重な時間を割いて読んでいただいていること大変ありがとうございます。

基本的には趣味や一つの個性としての提供の場にしたいと思っているので、見ている方にとって「そうなのか」と知ってもらえればいいなという思いで起こしていきたいと思いますのでどうか、どうかお付き合いください。


さて今日は10月のプールに飛び込んでみたについてです。

はい、騒がない騒がない~!

10月にプール?いやバカかと思ったあなた。そんなあなたにだからこそ読んでほしいのです。

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僕の好きな歌「10月のプールに飛び込んだ」について

プールという一つの環境にいながら自分を主観的かつ客観的に見つめる自分と周りの者の反応。そんななんとも言えない忘れていた青春学校生活の日々を感じる歌だなと初めて聞いたとき感じた。

個人的には行動を起こす「僕」の誰にも染まらない、いや染められない等身大の「僕」が動いている姿が動けなかった自分の理想のようであり、憧れだから好きだ。

そんな自身が抱える葛藤ここでは(僕という主人格)と言っておく。そんな僕の意識と行動が伴い目に見える形となって踏み出す一歩が美しく描かれている作品だ。


しかし、学校という親や先生、規則という檻に囲まれているからこその僕が抱える悩みや反発など誰しもが一度は通ったことがある経験が聞く人にとって誰しもがそうだよなと感じてくれると思う。そんな、反発が「10月のプール」という嘲笑や叱りに繋がるものに「飛び込む」という僕なりの抵抗と決意が滲んでいる。


といってもここまで読んでみても聞いたことがない人からしたらどういう歌なん?となってしまうのでここからは一度聞いてから読んでいただけるとより分かりやすいので聞いてほしい。

「10月のプールに飛び込んだ」

チャイム 聴こえないふりをしていた
WOW WOW
校舎の裏側 非常階段で一人


あんなつまらない授業なんか出たくない
空は真っ青だ こんなよく晴れた日をどうする?


校庭 眺めながら いいこと思いついた
ここで不平不満言ってサボっててもしょうがない


フェンスを乗り越えよう


10月のプールに飛び込んだ僕を笑うがいい
制服のまま泳いで何を叱られるのか
そして冷たい水の中で わざと飛沫(しぶき)を上げて
誰にも邪魔をされない本当の自由 確かめたかった


何もしないのは 傷つきたくないってことだろう?
もっと ジタバタしてかっこ悪くたっていいじゃないか?


僕なりの抵抗で じっと息を止めてた
いつまでいられるだろう 水の中は平等だ


ゆっくり立ち上がる


10月のプールを泳ぐのはそうさ愚かなことだ
教室の窓 みんながこっち見て騒いでる
そしてずぶ濡れで震えてる僕は中指を立て
大声で言ってやったんだ できるものならやってみろよ


びしょびしょの足跡が廊下に残っている
教師は何も言わなかった 僕に興味がないんだろう


プールには何度だって また飛び込んでやる
季節なんか関係ないのが僕の生き方だ


10月のプールに飛び込んだ僕を笑うがいい
制服のまま泳いで何を叱られるのか
そして冷たい水の中で わざと飛沫(しぶき)を上げて
誰にも邪魔をされない本当の自由 確かめたかった


ここでいくつかの歌詞を抜き取って考察していきたい。


あんなつまらない授業なんか出たくない
空は真っ青だ こんなよく晴れた日をどうする?
校庭 眺めながら いいこと思いついた
ここで不平不満言ってサボっててもしょうがない


フェンスを乗り越えよう

ここで出てくる僕はこの生活をつまらないと思っているそんな僕が思い立ったが吉日とでも言うかのようこう思う。「フェンスを乗り越えよう」と。フェンスという壁を越え何かをしなくてはと。

ここで思うに不満に対しての反発の糸口は口から出る不平不満というマシンガンではなく、行動という選択だよね。だって言ってても変わらないからという「僕なりの回答」が見てとれる。

そんな「僕」の行動がより具体的に表れているのがサビのメロディーだが今回はBメロに着目する。

10月のプールを泳ぐのはそうさ愚かなことだ
教室の窓 みんながこっち見て騒いでる
そしてずぶ濡れで震えてる僕は中指を立て
大声で言ってやったんだ できるものならやってみろよ


そう10月のプールに飛び込むこと=本来であれば世間が規則が周りが思うどうなん?と思うものに「僕」は分かってて入っている。それを見た周りが騒いでいるがそういった行動を起こさない周りの方こそどうなのかという「彼自身の過程と結果」が確かに見て取れる。不満があっても口にしか出さない、どこか達観してしまっている人が悪いとは言わないがそれをしたからじゃあその状況は変わるのかい?という彼なりの答えの証明を確かにしている。

逆に言い換えるなら、行動を起こした結果今の状況より悪くなることもあるそこが次の一唱。


びしょびしょの足跡が廊下に残っている
教師は何も言わなかった 僕に興味がないんだろう

行動の結果、その滴る足跡には自分しか歩いておらず、教師すらも歩いてこない。もしくは違う方が仰っていたが僕はこれが初犯ではない場合も見れる。すでにやっているからこそもう見向きもされないか。

しかし、そんなことを分かっていて気にしない僕のしっかりとした歩みの一歩一歩が分かる一唱。


プールには何度だって また飛び込んでやる
季節なんか関係ないのが僕の生き方だ

そう周りの反応がどうであれ自分なりの答えを見つけた彼はもう怖くないのだ。何度だって飛び込む彼の行動は季節という流れですらも止められないのだ。

そして彼はこう言うのだろう

「できるのものならやってみろよ」と。


もう10月はすぐそこだ。

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