息苦しくて
二十歳になってからのほうが、なんとなく息がしやすい。
20という数字を、ある種自分の中で一つのタイムリミットにしていたのかもしれない。若さは武器でもあり盾でもあった。闘うのにも使える一方で護られる理由にもなる。何者でもない自分の、手持ちの装備品の中で、なによりも強いと思っていた期限付きの称号。その代わりになる何か、か、このままの自分をこの先ずっと受け容れてくれる場所を見つけられないまま、若さだけをなくして、自分の正体を見られることがきっとこわくて恥ずかしかった、シンデレラだって0時の鐘に怯えているのだ。
ぱっと光を纏い散って呆気なく死んでしまうことより、ちがう、わたしがやりたかったのはこんなことじゃない、と悶々思いながら、日々を浪費するかもしれないことのほうが、こわかった。今日出逢った言葉、「若いは、苦しい」とあって、なんだ、たった一本線を動かしただけの字だったなんて、ふたつ並ばなきゃ気づかなかった。
若さというのはきっと年齢のことじゃないのだなあ、と最近思う。自分を形成するもの、アイデンティティを必死に掻き集めて並べて、そこから膨らむ自分のあらゆる可能性を想像して探しているときの、これだ!と惹かれる光が見つからない苦しみのこと。しかし、側から見ると、人はその苦しみに、なぜか美しさを感じるのらしい。そして、この苦しさは作品をつくるときの感覚とも似ている。もちろん正解も完成もないけど、絶対にこころが、これだ!と叫ぶものがあるはず、そのことだけがわかっている、けどそれが、なにをどうしたら目の前に現れるものなのかはわからない。何度試してもそれが見つからないとき、失望する。⌘+Zで来た道を一歩戻って、分岐点をまた増やしていくのだ、その繰り返し。可能性の模索。若さと苦しさと美の共通項はきっとあるだろう。人生だって、終わってしまえば、誰かに語られる作品だもんな。
今まで撮影・編集してきたなかで、何度来た道を戻る、を繰り返しても、これだ!を見つけられないものがあった。高校卒業間近、周りは受験の追い込み期で必死に勉強している中、自分は進路も決まってなくて、文藝天国も、この先ずっと続けることを想定して始めたものではなかったし、そもそもわたしの立場だってあやふやだった。自分の作品と呼べる映像も一つしかない状態で、カメラの道に進んで良いのかどうかすらわからなかった、才があるかも、わたしが好きで好きで堪らないことかもわからなかったな、これは今もわからないけど。とにかく作品を撮らなくちゃと、本当に本当に苦しかった、企画キャスティング衣装ロケハン監督撮影編集ぜんぶワンオペで、小さい頃からのお年玉の貯金が入った口座、一日にして大金があっというまに消えていくの、すごくこわかった、やり直しの効かない6時間、でも、こうすることでしかわたし、闘えないと思ったから、スタッフ一人お手伝いに来てもらう余裕もないのに、震える手で自分の銀行から下ろしたばかりの、分厚い封筒を渡した。あの瞬間のことは忘れられない。相当特殊な客だったのであろう、ガラガラのスタジオで進行する撮影をみて、管理人さんが気の毒に思ったのか、水中撮影のときに照明を手伝ってくれたのを、思い出すと泣きそうになる。自画自賛ですが、今のわたしがみても、息を呑むほど美しい。だってあのゆらゆらと揺れている光は、ひとのやさしさでできているのだ。
たくさんの有名な監督さんや俳優さんが撮影されているスタジオだったことを、お会計のときに管理室に飾られている写真を見て知り、本当に身の丈に合わないことをしたんだなと思った。その後どんなに時間をかけて編集をしても、結局、その映像は出せなかった。その映像を奥に引っ込めたままで、今までの映像を出していた。
それがようやく、再々再再再々再再編集ののちに一年半越しに発表できて、うれしい、こうくんありがとう。発表後、目紛しい速度で大勢の方にみていただけて、身近な人にも成長したね、なんて褒めてもらった。時系列的に成長といって正しいのかはわからないけど。
編集し直していて、このときのわたしが撮っていたもの(それは当時のわたしのこころの内でもある)、息苦しさをすこし離れた視点で捉え直すことができてよかったなと思う、あの当時、こころがこれだ!と叫んでくれなかったのは、この時間の経過にこそ、この作品にとって、大切な、息苦しさの本質があったからかもしれないなと思った。わたしは自分の撮ったものに感情移入してしまって、きっと一緒に苦しくなってしまっていたから、一度水面から顔を出して、息を整える必要があったのだ。わたしたち、呼吸ができない場所じゃ生きることなんてできないんだから、生き苦しさと息苦しさは、同じなんだよ。
何度も考え直したけれど、わたしの中で十代と二十代はやっぱりちがうなあ、と思う。どっちも自分だし、年齢にとらわれたくないし、二十歳になった瞬間にころっと変わるものでもないけれど、おぎゃーと生まれた瞬間の、息が上手くできずに泣いている自分と、今の自分が、からだも考えていることも違うのは明白なことで、それと同じくらい、去年のわたしと今のわたしは遠くちがうなあ、と思う。わたしは十代の頃ですら、上手く呼吸ができなくて泣いてたから、あの頃、精神は実質的に生後一秒と変わらなかったのかもしれない。
十代と二十代はちがうと思うけど、それ以降は二十歳も三十歳も四十歳も同じようなものだと思っているので、わたし、もう二十歳になってしまったから、これからの誕生日に特別思い入れも焦りも感じることはなさそうだな、と安堵と寂しさを覚えつつ、これからは年齢を区切りにするのではなくて、やりたいことで区切りたいし、これからは水の中と外を行ったり来たりして、呼吸をとめたり、深呼吸したり、楽しいだけでも苦しいだけでもない生き方ができたら、いいなぁと、すぅ、はぁ 今は本当に息がしやすい えら呼吸でも身につけたのか
そういえば、美しいものに触れたときにため息が出てしまうのは、忙しない日々のなかで知らず知らず浅くなってしまう呼吸を無意識に整えているのかもしれないな
二十歳をテーマにした文章を、気づいたらもう三本くらい書いてしまって、二十歳、何故にこうも想いを馳せてしまうのか、一体なにが特別なのだろうと考えてみたけれど、もしかしたら、今年の誕生日は、二十歳になったんじゃなくて、わたし、ひとりの人間に成ったのかも。
成人
改めて、このときいっしょに作品をつくってくれた方々。素敵な振り付けを考えてくれて、身体を張った撮影に協力してくださった女優のyuunaさん、やさしい照明を照らしてくださったスタジオの管理人さん、ドローン撮影を手伝ってくださった洋一郎さん、外ロケの荷物持ちなどボランティアで手伝ってくれた御三方、みなさん本当にありがとうございました。
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