2024/02/19 選ばれた人だけが前に出なさい

昨晩、やたらと眠れなかった。ここのところ多くなっているのが、早く寝られそうだと0時頃に床に着き、おお寝られそうだぞ・・・わあ。1時間だけ眠ったようだ。目がさえている😿
という感じの最悪の睡眠である。これが発生すると、とりあえず横にはなるのだが寝付けず、これは時間の無駄だなと日記を書くなり米を食べるなりする。

昨夜がまさにそれで、短時間眠って目が覚めてを二回くらいやって、5時ころに時間の無駄だなとなった。炊飯器のスイッチON。パソコンのスイッチON。日記を書いて、米を食べて朝7時になった。ようやく眠たくなったので、ぐうっと寝た。10時に目が覚めた。

起きてから、そこそこにいろいろして、14:30に家を出て15:30から漫才の練習をする。17時から事務所のネタ見せである。
それにしても漫才は難しい。田川くんの特徴を活かしたネタをやろうとすると私の特徴が出ない。私の特徴を出すと田川くんの特徴を出せない。なんでだろう。
な~んでか。それはね、食パンには耳があるから~。

境すすむさんの「なんでかフラメンコ」テツandトモさんの「なんでだろう」なぜというのは笑いの要素のうちの一つになりうるのだろうと発見できた。

この特徴を出す問題について、お笑いを志す人たちは皆、苦労する。一つだけそれっぽいのは、長いことやれば自然と出てくるとは思う。人間ながくやっていれば、自然とひねくれてくる。それが特徴になる。しかし、若いうちに売れる人は、めちゃんこ努力したさきにパッと閃いて手に入れる。そういうもんじゃあないかと思っている。
若いうちに自分の特徴をキャッチしなければいけない。ああ難しいなあ。

難しけりゃやんなきゃいいじゃない。でもゲームは難しいほどのめりこめるじゃないか。お笑いこそがどえらいシミュレーションゲームである。大事なことはだいたい母ちゃんたちには内緒である。
ようはお笑いはファミコンウォーズと一緒だということだ。

そんなこんなでネタ見せは終了した。ナンダカンダあって19:30くらいの電車に乗った。これくらいの時間の電車に乗れば、やはり世の中の会社勤めの方はすごいと思う。何度も書いたと思うが、人の多い電車は嫌だ。
また、嫌なのが仕事で疲れてイラついているのが手に取るように分かる人がいるのがいやだ。そんなに嫌なら仕事辞めればいいのにと思う。別にフリーターでも死にはしないんだから。

この日記を選択して日々読んでいる人は、こう言っては何だが頭が良い人が多いと思う。こんなただ日々起こったことをだらだら書いているだけの文章におかしみを感じるのは、賢くないとできない。なぜならわざわざここが笑いどころですよ、見どころですよというのを排除した文章を私は書いており(単純に書く能力がない)、そこから自分なりにポイントを見つけて読んでいるわけだ。
スパイダーマン、スーパーマン、ゴジラ、ドラえもんは確かに面白い。面白いが、とても親切なおもしろさである。ここが面白いんですよ、とテクニックでもって見せている。それはとても高度なことである。勉強ができる人もできない人も、言語や文化が違えど楽しめるものはそう簡単には作れない。

例えるならば、東大卒の塾講師が東大志望の子供を指導するのは簡単だが、東大卒の講師が公立中学に進学する小学生に指導するのが難しい状況に似ている。東大卒であれば、東大に行こうと思える子供の頭の使い方や家庭学習状況はおおよそ分かる。公立小学校に通って、公立中学に行こうと思っている、いわゆるレベルの低い家庭の子供の気持ちなぞわかりようがない。指導は非常に難しい。
私は幼稚園以外、すべて公立学校に通った低レベル家庭で育ったからこそ「レベルが低い」という表現が許されることを断っておきたい。

この賢さの話をなぜしたのかを忘れかけていた。ひとまず、この日記を読んでいる人は賢いので自信をもって良い。それは書き手の私が賢いということを言いたいのではない。こんな程度の低い人間が書いた文章を面白いと思える、あなたのエンタメ受容体のすばらしさを説きたい。

そんな賢いあなたなら、満員電車であからさまにイラついているのを顔には出さないだろう。イラついている人は馬鹿である。私の人間としての器はこんなに小さいんですよ、と会ったこともない、今後会うこともないだろう人に見せているのだ。そんな無駄な行為はない。そんなエネルギーがあるならば、途中で降りて短時間のバイトをしたほうがお金になる。それがわからないのである。

ということで、読者に選民思想を植え付けておいた。こうすれば気分が良くなって、毎日読みたくなる、読むことが快感になる。ひろゆき氏、daigo氏、岡田斗司夫氏の技法を取り入れさせていただいた。いかがだろうか。
ここでちゃんと手の内を書くこところが私の良さであることよ。

帰宅して、お酒を頂戴しながら町中華で飲ろうぜを見た。この一時間番組は、前半の30分を浅草キッドの玉袋筋太郎(NHKでは知恵袋賢太郎、玉ちゃん)さんがご出演で、後半30分が若い女の子がご出演される。
この女の子たちの振る舞いが嫌いとか、苦手とかそういうことではないのだが、女の子のタームに入ると私は報道ステーションにチャンネルを回してしまう(テレビのダイヤルをガチャガチャと)。街中華が好きなおじさまは若い子が出れば見るんでしょうというような、製作者の意図が見えるようで、嫌なのである。
21時からやっている、「吉田類の酒場放浪記」は楽しく見れる。飲ろうぜの玉ちゃんのタームも楽しい。ただ、女の子のタームだけは反骨心から見れない。こういう人はいないだろうか。
これはある種、私の選民意識からくるものだろうと思っている。「俺はそこらの軟派なじじいとは違うぜ」「渋い番組を見ている自分」という意識があると思っている。自意識である。
別に私がどんな番組を好んでいようが、例えば水着のおねえちゃんがビールの泡を胸の谷間に落としながら飲む番組があって、それを楽しんでいようが、だれもなんとも思わない。でも、そんなのを見ている自分がなんかいやなんだな。自意識と自律、自戒は言葉は違えど、似た意味を持っている部分もあるんでないか。

とそんな気持ちで横になった。今日はすぐ寝られた。
さて、ネタ見せが終われば今度はいよいよ漫才新人大賞に向かって生活する。そのあとは小旅行に行こうと思う。よ~し頑張るぞ~。うんち!

今日面白いと思ったことは「芦田愛菜さん、福くん、大橋のぞみさん、加藤清史郎さん、山上兄弟さん、まえだまえださん、りあるキッズさんと言った、かつて世間を楽しませた子ども達が大人になってお酒を飲む番組があったらこれは面白そうだから見たい。テレビ東京がやりそうだ。」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。