2024/06/13 修行僧なので施しをください

こんにちはおはようございますこんばんは。
日記上の日付、6/13は過去最高にパソコンの前に座っていた日です。書くことは無いので、なんとか昔話でもしながら乗り越えたい。

まず日記である。翌日がネタ見せである。そんななか、ネタは一行も書けていない。このギリギリさは過去二番目である。
連続投稿の記録を途絶えさせないために「つぶやき」というものをこっそり投稿しており、そこにも書いたが過去二番目のしんどさである。一番きつかったときは、事務所ライブの翌日がネタ見せというどうしようもない日程があった。あのときは当然であるがネタも心も体もボロボロだった。
過去二番目ということはその時よりも楽ということだろうとお思いの方もいるだろうが、そんなことはない。ちょっといいように言えば、ネタ作りは芸術作品を作るようなもので、やろうと思えば永遠に時間をかけられる。

いったんオチまで書いてみたが、細部が気になっていき、そうすると時間がオーバーしそうだからこのやり取りを消そうか、おおこんなボケもできるなと無限に時間がかかる。この世の多くの漫才は納入期限に向けてむりやり作られるものが多いのではないだろうかと思っている。

そんなわけでネタを考える。世間の注目が集まっているニュースを常にノートにメモを取っているので、その中でこれは行けそうだというのを選ぶ。
これだなというのは何となく決めておいた。それがまあ、難しいテーマになったなあと悩む。
漫才の作りやすさはなかなかちょうどいいかなとは思うが、事実を見極めるのが難しいニュースというやつである。政治ネタである。

政治については虚実入り混じって報道され、話題になるから事実と世間の見方を見誤りやすい。また事実が存在したとしてそれをどのようにとらえるかは千差万別のテーマだから、一歩間違えるとたいへんなことになる。そこで、とにかくニュースを見まくる。プロが報道するニュースを見て、そのうえで有識者(一定の肩書を持った信頼できる者)の見立てを述べる記事や、Youtube動画をぶわっと見る。大量に見ていれば、どうやらこれは真実味があるだろう、ここは人によって意見が変わるという部分が明らかになってくる。大量に見て聞いて、自分でニュースを判断する。これは楽しい作業である。知の探究。

政治の面白さはこの受け取り手によって真実が変わることだ。歴史もそうで、以前日記に書いた話を少しする。
吉良さんを切りつけた47人のおじさんの話を一方は「赤穂浪士」と呼び、一方は「赤穂義士」と呼ぶ。浪士は禄でもない武士を指し、義士は義を守る男という意味で、まったくの真逆の評価をされる。どうやら事実らしい事柄が存在し、それを誰が見るかで評価が変わる。これが世界中で、人間が文明を持ったころから繰り返していることのなんと面白いことか。

でもこのおもしろさは小・中・高では教えてくれない(というより時間が足りない)。大人になって、大人の中でもお笑いなんて言う金が無いのにバイトもロクにしない時間を余らせている人だからこそできる楽しさ、ああ素晴らしい。

と、こんな偉そうな知識人、知の巨人のような物言いをしたが、ネタ作りのために野次馬根性で様々な意見を見て回っているだけで、何にも尊いことはやっていない。あしからず。

一定量の記事や動画を見漁ると、同じことを言い方を替えただけのものが増えてくる。こうなればネタを書き始める段階に入る。この時点で19時くらいになった。やばいって。
明日は10時に公園に到着しなければいけないから、残すところ約12時間だ。うおおおおおおひええええええと、ああでもないこうでもない、ああなんだこうなんだ。とやっていたら日が昇った。7時ころになんとか書きあげて30分ほど眠って、ネタ見せへ向かう。何回も嘔吐しそうになった。

続きはまた明日分でよろしくお願いします。

今日面白いと思ったことは「難しいテーマ程、漫才を書くことは面白い。でも労力が半端ないからあんまりやりたくはない」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。