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最近のアガンベンについてのつぶやき
最近のコロナウイルス騒動にかんしてアガンベンは結構頑張っていて、イタリアで感染が広まった2月後半から、Quodlibet社などを通じ、かなりの頻度で見解を表明している(参照:https://www.quodlibet.it/una-voce-giorgio-agamben)。最近発売された『現代思想』でも、高桑和巳氏が「伝染病の発明L'invenzione di un'epidemia」を翻訳しているし、手前味噌ながら、先日わたしも訳してみた。
とはいえ、現状への応答であるという点を除けば、これらの論考に取り立てて見るべきものがないのも確かだ。口ぶりは彼らしくないほど感傷的だし、内容そのものも、ある種良識的な左派(少なくとも、生命それ自体よりも優先されるべき理念があると述べている点で、皮肉抜きに「古き良き」左派である)の範疇にとどまっている。
なので、どうやら一連のアガンベンの発言が厳しい批判に曝されていると聞いても(具体的な内容はいちいち把握してはいないが)、至極当然のことであるように思うし、敢えて擁護してみる必要もないだろう。
それよりも現在アガンベンをはじめ、多くの知識人が置かれている現状については、何ともいえぬもの悲しさの方が先に立つ。というのも『火と物語』(未邦訳)でウィトゲンシュタインの『哲学的考察』にかんしてアガンベンが言及した、次の一節を思い出したからだ。以下、同書からの私訳。
ウィトゲンシュタインは以下のように書いている。非文化的な時代——彼にとってそれは自身の生きた時代であり、わたしたちにとっては現在生きている時代である——は創造に対して圧力をかけ、摩擦を生じさせるのだが、そうしたものに対抗せねばならないことが、最終的には個々人の力を浪費させ、それを断片化してしまう、と。(p.41-42)
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