【戯曲】鬼の帳簿

登場人物:鬼1(先輩鬼)、鬼2(後輩鬼)、亡者1、男1
上演時間:20~30分程度

出典:捜神記巻三「管輅」

(場面1)

  舞台上には机と椅子がふたつずつ並べてある。
  つくりは簡素だが、けしてみすぼらしくはないあつらえ。
  机の上にはパソコンが2台乗っており、
  机のわきには椅子がかけてある。これは来客用の椅子。

  ふたりの鬼が、それぞれ机に座って、
  長い長い巻物をめくりながら話している。

鬼1 いいか。ここの数字を見ろ。これは今日の日付だな。(鬼2 はあ。)そしてその下の列が、この地区に住んでいる人間の名前の列。そしてそのまた下の列が、その人物の年ごろを書いた列だ。
鬼2 はあ。
鬼1 うしろのほうまでめくってみろ。ここから先が全部、追補資料だ。生前のおこないはもちろんのこと、誰が、どの家の人間で、誰々と姻戚関係にあって、どういういわれを持っているのかということが、すべて記してある。
鬼2 はあ。
鬼1 はじめに見ていたところにもどるぞ。(指さして)今日の日付だな。この「あじゃらか・もくれん66歳」が、たとえば今、◯時◯◯分だな、にちょうど天命全きを得てこちらに案内されて来るとする。たとえばの話だぞ。俺たちはこの「あじゃらか・もくれん」の経歴だの家族構成だのをみんな調べておいて、いざ窓口においでなすったときには、すばやくご案内さしあげなければならない。
鬼2 ええと。あじゃらか・もくれん死ぬ、合図が出る、僕ら準備する、あじゃらか・もくれん来る、案内する、という流れ、
鬼1 そうだ。時機がくればむこうから合図ののろしが立つ。最近はのろしの質もよくなって、遠くからでもよく見える。それを受けて、俺たちはこの帳簿を調べて準備をしておく。と、こんな流れだ。
鬼2 そうですか。それならまあ大丈夫そうですね。
鬼1 (大丈夫とは、なにがだ?)次に窓口での対応についてだが、むこうは書類を三つ持ってくる。それを全部こちらに打ち込んで、データベースに登録する。まちがいなく本人だ、ということが確認されれば、めでたく次の手続きにうつれる。
鬼2 はあ。
鬼1 家族構成だのをみんな調べておくのは、死後は家族や知人のそばで、とこのように希望を出される方がとても多いからだ。前もって調べておけば、案内もスムーズに進むだろう。それで、持参書類に不備がなければすぐ案内ができるが、俺たちにとってはもどかしいことに、書類不備で引っかかる者があとを絶たない。それから、これはかならずしも我々の責任ではないとはいえ、窓口で感情的なふるまいをされる方も少なくはない。今日びどこの窓口も押し寄せる亡者の対応で忙しいが、かといって案内が滞れば真っ先に槍玉にあげられるのは現場にいる俺たちだ。くれぐれも、粗相のないように対応をすることだ。わかったか?
鬼2 まあ、だいたいは。ちょっと疑問があるんですけどいいですか?
鬼1 いいぞ。なんでも聞いてくれ。
鬼2 流れとか手続きとかはまあそんなもんかなって感じですけど、この巻物、これって手書きですか?
鬼1 ああ。担当課が責任を持って編纂している。
鬼2 えーやばー……。え、これパソコンに打ち込んでデータベース化するのでよくないですか?
鬼1 なにを言うかと思えば。いいか?俺たちは、人の命をあつかう職についているんだぞ?歴代の担当者は、その責務と自覚を胸に働いてきた。なんといったってこれは、地にあまねき人の命をつかさどる大切な帳簿だ。人の手で記し、人の手で確かめる、それが筋というものだろう。
鬼2 いや自覚とか責任とかもいいですけど、ふつうに大変だなって思って……。
鬼1 みんなそうしてやってきたんだ。俺たちが気軽に手を加えていいものじゃない。
鬼2 えーー……だってこの分量っすよ?こう、冊子になってるならまだしも、巻じゃん。資料確認するのとかいちいちすごい手間じゃないですか?
鬼1 それ、俺の前以外で絶対誰にも言うんじゃないぞ。
鬼2 いや。先輩もそう思ってるんじゃないですか!
鬼1 ここだけの話、何度要望を出しても予算がつかないらしい。
鬼2 そんな理由で。
鬼1 とにかくだ。俺たちがしくじれば、世の中は死すべき定めにして死なず、死してもなおやすらわぬ亡者があふれかえることになる。そういう大事な役職なんだ。地方の閑職とあなどらず、くれぐれもつまらぬミスのないように!あとおまえ、窓口でその言葉遣いはよしておけ。
鬼2 (先輩のその言葉遣いは、)……はい。

  ぴいと、白いのろしが上がる。

鬼1 おっと、来たようだな。ひとまず今は俺が対応するから、おまえはそこでひととおりの流れを確認していろ。

  先輩鬼、いそいで帳簿をめくり、手続きに関わる情報をあらっていく。

(場面2)

  顔を布でおおった亡者が、窓口にやってくる。
  亡者は三枚の書類を持っている。
  後輩鬼は先輩鬼のとなりでだまって座っている。

鬼1 はい、はい、本日はどのようなご用向きでしょうか。
亡者1 …。
鬼1 はい、はい、入府手続きですね。それでは書類をおあずかりいたします。

  先輩鬼、書類を受け取る。

鬼1 はい、はい、確かに。少々確認にお時間をいただきますので、かけてお待ちください。(小声で、鬼2に)おい、おまえ。
鬼2 はい。
鬼1 ご案内さしあげろ。
鬼2 ??
鬼1 椅子だよ!気が利かねえな。

  と言って、先輩鬼は書類の確認作業をはじめる。

鬼2 あ、ハイ。

  後輩鬼、椅子を出してきて亡者にすすめる。

鬼2 どうぞ。
亡者1 …。

  亡者、緩慢な動作でゆっくりと椅子にかける。

鬼2 (聞こえないように)ひえーーっ。

  後輩鬼、席に戻る。
  先輩鬼の作業が終わるのを待つ、間。

鬼1 はい、はい、大変お待たせいたしました。確認のほうは終了いたしました。えー…とっぴんぱらりの・ぷぅさまでお間違いありませんね。
亡者1 …。(うなずく)
鬼1 承知いたしました。とっぴんぱらりの・ぷぅさま、享年97、まあ、大往生でございますね。はい、はい、たしかに。ええ。どうもおめでとうございました。提出書類に不備はございませんでしたので、ええ、そのままお通りいただけます。こちらの出口から進んでいただきますと、半刻ほど歩いた先にまた次の関所、えー、窓口がありますので。そちらでは一応ですね、身体検査を受けていただきまして、問題がないようでしたらこちらの希望居住区調書に従いまして、改めてご案内させていただきますので。ええ、そのようなところでございます。何かご不明点等ございましたら、ええ、いまのうちにお願いいたします。
亡者1 …。
鬼1 ええ、ええ、わかりました。これで手続きは終了でございます。道中、どうかお気をつけてお進みください。

  亡者、緩慢な動作でひとつ礼をして、退出する。
  先輩鬼、帳簿にしるしをつける。

鬼2 ……。
鬼1 とまあ、大体このような感じだ。
鬼2 めちゃ亡者っぽいの来ましたね!え、思いませんでした?僕あれ見た瞬間「亡者キター!」って思いましたもん。え、ここに来る人ってみんなあんな感じですか?
鬼1 まあ今の方は、持参書類がめずらしく完璧だったからな。よほど向こうで丁重にほうむられたか、ここまで案内する担当者のチェックが有能だったかのどちらかだな。
鬼2 いやだって、呼吸音がヤバかったっすもん!聞きました?「コヒュー……コヒュー……」って。虚ろか!っていう。柳の下の幽霊か!っていう。
鬼1 ……。
鬼2 あ、すいません。ちょっとテンション上がっちゃって。
鬼1 ……おまえな、
鬼2 あ、そういえばひとつ気になったことがあったんですけど。「おめでとうございます」なんですね。
鬼1 なんのはなしだ。
鬼2 あ、いや。名前と、年齢を確認したあとに「おめでとうございます」って言ってたじゃないですか。あ、そうなんだーって思って。ふつう「おくやみ申し上げます」とか、「大変残念でございました」とか、こう、悼む系の挨拶を挟むもんなんじゃないのかなって。
鬼1 ……。
鬼2 どうなんですか。
鬼1 考えたこともなかったな。
鬼2 えーー。そこはなんかなくても適当に言っときましょうよ。ポリシーとか。
鬼1 俺も先輩のやりかたをそのまま踏襲しているから、なんともいえんな。
鬼2 え、じゃあですよ。あるとき威勢のいい亡者が窓口にやってきて、威勢のいい亡者ってなんだ、まあいいや。先輩の案内を受けたとしますよ。
鬼1 ああ。
鬼2 で、そいつが先輩の「おめでとうございました」発言にキレて、「おめでとうございますたあなんだおれはもっと長く生きるはずだったのに」みたいな言いがかりをつけてきたときに、どう説明するんですか。
鬼1 ああ、うーん……。いやしかし、考えてもみろ。おまえ、仕事から帰ったときに、「父さんおかえり、今日もありがとう」といって迎えられるのと、「今日もさんざん働かされて、たいへん残念でございました」と迎えられるのでは、働き甲斐というものもちがってくるだろう。俺は、だんぜん前者のほうが気分がいいと思うが、しかし、そういうことではない、のか……?ええい、いや、そうにちがいない。ようは、気持ちの問題だ。相手がここちよくいられるようおもんばかっているかどうかの違いであって、その理屈でいくと、「おくやみ申し上げます」より「おめでとうございます」のほうに軍配があがるということなのだろう。
鬼2 (ふーん)そういうもんですかね……。僕はてっきり、よくぞ逃げてここまできたなっていうことなのかと思いましたけど。じゃあ、なにか言いがかりをつけられたときは、心のケアとかホスピタリティとかそれっぽいこと言っとくことにします。
鬼1 ああ、そうしてくれ。 無礼だけははたらいてくれるなよ。
鬼2 それにしてもこの、半アナログ半デジタルみたいな作業環境どうにかならないんですかね?くだらない処理ミスとか、いくらでも起こりそうで怖いんですけど。この点は書き損じなのか名前の一部なのか?みたいな。(帳簿を見て)やっぱ頭おかしいわー。
鬼1 いまどきはご遺体ひとつとってもすみやかに火葬にふされてしまうから、手違いなんてあった日にはおまえ、くびひとつじゃ済まないぞ。
鬼2 手違いがあったのでここから帰されたら、身体もう燃えてました、みたいな。
鬼1 やめろやめろ、想像するだにおそろしい。
鬼2 まあ燃えちゃったらどうしようもないんですけどね。その場合はいっそ、寝たきりジジババにこっそり中身つっこんで、かえって感謝されるセンでいきましょう。
鬼1 おまえ、不謹慎だぞ。
鬼2 不謹慎て。(僕らが言う?)

  ぴいと、赤いのろしが上がる。

鬼2 お、来た。
鬼1 つぎはおまえがやってみろ。横で見ていてやるから。
鬼2 えーー、マジっすか。
鬼1 だいたい大丈夫なんだろう。ほら、まず名前を確認しろ。このしるしのとなりだ。
鬼2 えーーっと……「たちきり・たまお」で、下の列っと。「19歳」、え、19?だいぶ若くないですか?
鬼1 たしかに若いが、そう珍しいことでもあるまい。
鬼2 まじすか。僕19の頃自分が何してたか考えていまちょっと鬱になった。

  先輩鬼と後輩鬼、一緒になって巻物をめくる。

(場面3)

  男がひとり、窓口にやってくる。

男1 …。
鬼2 あー、えっと、こちらにどうぞ。

  男、机に近づいていき、じっと後輩鬼の顔をみつめる。

鬼2 あのー、すいません、書類を……。

  男、少し考えて、ふところから書類を取り出して渡す。

鬼2 うけたまわりました。では、確認させていただきますので、少々おかけになってお待ちください。

  先輩鬼、椅子をすすめに席を立つ。
  後輩鬼、受け取った書類に目を落とすやいなや、
  立ち上がって先輩鬼をひっつかまえる。

鬼2 ちょっとちょっとちょっと。
鬼1 はあ!?
鬼2 いやだから、これを見てくださいって。

  後輩鬼、先輩鬼に渡された書類を見せる。

鬼2 なんも書いてないんですけど、この場合どうしたらいいんですか。
鬼1 おおう、これは……。
鬼2 ちょっとこれさすがに僕じゃ対応難しいですよ。てか若い人こええな。鉄砲玉すぎんだろ。
鬼1 (男のほうをちらと見て)わかった。俺が対応する。

  先輩鬼、改めて席に着き、男に向き直る。

鬼1 失礼いたしました。ええと、大変申し訳ないのですが、書類のほうに不備が……
男1 ぼくはたちきり・たまおの兄です。
鬼1 は、え、お兄様でしたか。これは大変失礼いたしました。

  後輩鬼、言われて再度帳簿を確認する。

男1 ぼくはあなたがたにお願いがあって、獄卒のかたに無理をいってここまで連れてきてもらったのです。どうか、妹の死にいまひとたびの猶予をいただけませんか。ぼくは、いや、我々は、妹にまだ生きていてほしいのです。
鬼2 (鬼1に、小声で)いい話じゃないすか。
鬼1 (鬼2に、小声で)いや……。
男1 個人的な話で恐縮ですが……。妹には好いた相手がいるのです。ふたりは将来を誓いあった仲で、彼女の死後に知ったことですが、どうやら結婚の約束までしていたそうなのです。お相手の方にお会いしたところ、あまりにもひどく悲しまれるので、我々家族も見るに見かねてここまで案内していただいたのです。役人さまのお慈悲に誓って、どうか手心を加えていただけませんか。
鬼1 いや、そうは言われましても、こちらにも決まりがありますので。
男1 無理なお願いであることは承知しています。もし身代わりが必要だというのなら、ぼくが妹の代わりになります。どうか、どうかお聞きとどけください。

  男、ふかぶかと頭を下げる。鬼たち、困り果てる。

鬼1 ですから、その、そうは言われましても……。
鬼2 (鬼1に、小声で)ずいぶんと時代錯誤なお兄さんでいらっしゃいますけど、こういう手合いにはいつもどうやって対応してたんですか。
鬼1 (鬼2に、小声で)どうって、そりゃあ……言葉を尽くして説得するのみよ。
鬼2 えー……。
男1 おふたりの気持ちはお察しします。ぼくも、道理に合わないこととは理解しています。ですが、どうしても……。我々は道理を曲げてでも、妹をこの世に留めたいと心からねがっているのです。我々の願いをお聞き届けくださったあかつきにはと、ささやかながら貢物のご用意もあります。
鬼2 貢物。
男1 appleとandroid、どちらの機種をお使いですか。
鬼2 金券だ。
鬼1 はい、その、なんといいますか。そもそもこの帳簿、人間の寿命を記したこの帳簿は、なにもわたくしどもの独断で作成しているわけではありませんで、その、わたくしどもの仕事といたしましては、この帳簿にかかれてあるとおりに、寿命を全うされようとしている方をこちらにお呼びしまして、その、みなさまの魂が死後もやすらわれますように、心をこめてご案内させていただくことが、わたくしどもの第一の使命と、はい、そう理解しておりますので。
男1 よく存じ上げております。
鬼1 ですから、ええと、そのですね……。わたくしどもの判断で、こちらの数字を書き換えたり、帳簿に載っているかたをあえて見逃したりということは、ええ、大変申し訳ないところではあるのですが、その、できないことになっておりまして……。
男1 ですからそこを、なんとか曲げていただけないかとこうしてお願いしているのです。
鬼1 はあ、ええと、その、(困ったな)……。
鬼2 先輩、ファイトですよ。
鬼1 もうおまえがやれよ。

  男、いよいよ地面に頭をついて懇願する。

鬼2 いやいやいやいやいや。(止める)
鬼1 頭をあげてください。頭をあげてください。
男1 このとおりです。どうか、どうか、妹を。

  男、頭をあげようとしない。

鬼2 どうするんですかこれ。先輩。ちょっと先輩。
鬼1 うるさいな。今考えてるよ。こういう実直なパターンははじめてだから俺もどうしたらいいかわからないんだよ。そもそもここにくるやつだいたいみんな横柄なんだよ、自分の都合ばかり延々並べ立てて。なんで俺に言うんだよ。
鬼2 先輩おちついてください。先輩が窓口に座ってるからですよ。
男1 お慈悲を!お役人さま。
鬼2 あんたはなに時代の人なんだよ。
男1 お聞き届けくださるまでぼくはここを動きません。
鬼2 ああもう……!、、、、、あ!
先輩僕いまちょっと名案じみた考えを思いついたんですけど言っちゃっていいですか、
鬼1 なんだ!(やけくそ)
鬼2 この人と家族と恋人と、ひとまずみんな死んでこっちに来ちゃえばいいんですよ!人間、結局みんな行き先は同じなんですから。どうですか、先輩!(鬼1になぐられる)いたいな!
鬼1 ばかやろうどうしてそういう結論になるんだ、おまえには倫理観というものがないのか!(鬼2 ええーー……。)俺たちは役人なんだぞ。いや、役人でなくたって、生きている人間に気軽に死をすすめることなどできるか!
鬼2 じゃあどうやってお帰りいただくんですかこの人に!(男1を指さして)ほらもう石みたいになっちゃってるし!もういいから妹さんでもなんでも返してあげましょうよ。
鬼1 そういうわけにもいかない。なんのための帳簿だと思ってるんだ。
鬼2 先輩は倫理感とかルールとかに縛られすぎなんですって。
鬼1 待て、おちつけ!ここは冷静に、事例集やマニュアルを参考に。
鬼2 いやマニュアル見ても書いてないと思いますよ。
鬼1 うるさい、きっとなにかあるはずだ、この場を円満に収めかつこの人にも納得して帰ってもらえる選択肢が……

  先輩鬼、机にもどり、やけっぱちで帳簿をめくりだす。

鬼2 僕府民課に電話します。電話して、この人の親族を同じ区画に配置することができるかどうか聞いてみます。
鬼1 待て待て待て、早まるな!勝手に電話をかけるな!内部協議のすまないうちに外に話を持ち出すな!
鬼2 いちいちめんどくさいなあもう!
鬼1 あ。

  先輩鬼、はたと黙る。

鬼2 なんすか。

  先輩鬼、帳簿をためつすがめつする。

鬼2 え、何、なんかしゃべって、怖、え?

  先輩鬼、後輩鬼を手招きする。

鬼2 え、怖い怖い、なんすかマジ、え、
鬼1 ……点をうてばいいんだ。
鬼2 は?

  先輩鬼、後輩鬼の肩をつかむ。

鬼1 そうだ、簡単なことじゃないか。点を、点をうてばよかったんだ!なあ、後輩よ!(いきなり笑う)
鬼2 え、マジやめて、言語化してちゃんと、
鬼1 ここだ、年齢の欄に、「19」とあるだろう、
鬼2 え、ハイ、
鬼1 そこにレ点をうつんだ。わかるか?レ点だ。
鬼2 いやバカにしないでくださいよ。え、なんて?
鬼1 だから、十と九のあいだに、レ点をうつ。
鬼2 あ、
鬼1 な?
鬼2 あ、あ、あ、あーーーーーーー!!!!!
鬼1 な、な、どうだ?
鬼2 九十になる!!!
鬼1 そうだ!!!
鬼2 あんた天才かよ!!!

  先輩鬼と後輩鬼、手をとりあって喜ぶ。

鬼1 まさか帳簿に、こんな抜け道があるとはなあ!
鬼2 え、やばい、僕いまはじめて先輩のこと深く尊敬してます、
鬼1 兄上殿、顔をあげてください!あなたの妹君は助かりますよ!
男1 ほ、本当ですか!?
鬼1 ええ、本当ですとも!帳簿のこの部分、あなたの妹君の寿命を書きあらわすこの「十九」という数字に、このようにして(帳簿にしるしをつける)返り点をつけ足すのです!
男1 おお!
鬼1 こうすればあなたの妹君の寿命は「九十」になって、命が助かるどころか当面は老後の心配もなくなります!あとは結婚式でも金婚式でも、お好きにあげたらよろしい!
男1 ああ、なんてことだ……!お役人さま、本当に、本当にありがとうございます!これで我々家族は救われます。そうだ、未来の婿どのも涙をながしてよろこぶにちがいありません。
鬼1 ああ、ああ、それはけっこうでございます。
男1 さっそく帰って家族に知らせなければ!お役人さまがた、このご恩は一生忘れません。ぼくが寿命をまっとうしてふたたびこの地に足を踏みいれたならば、きっとお役人さま方のご温情を冥府じゅうの人々に語り伝えてまいります。本当に、本当に、ありがとうございました!
鬼2 いや、ははは、なんかてれるな。
男1 もしよければ、ささやかながらお礼の品を……
鬼2 え、まじすか。
鬼1 いえ、お気持ちはありがたいのですが、(鬼2 ……。)わたくしどもも雇われ役人の身。いかに気持ちといえどもお受け取りすることはできかねます。
男1 そうでしたか、残念です……それにしてもあなたがたは、ほんとうに品行方正なお役人さまだ。どうもお世話になりました。それではぼくはこれで。

  男、くりかえしくりかえし丁重に礼をして、退出する。
  先輩鬼、よろよろと自分の椅子にかける。

(場面4)

  後輩鬼、男の姿が見えなくなるまで見送ってから、

鬼2 はーーなんとかなったーー……(脱力)
鬼1 なんとか満足してお帰りいただけたようだな。
鬼2 なんかどっと疲れましたよ……もう窓口閉めちゃいましょうよ。
鬼1 そんなことができるか。
鬼2 はいはい。僕、はじめにここに配属決まったとき、クレームとかすごそうだし正直かったるいなーって思ってたんですよね。
鬼1 おまえは思ったことを全部口に出すやつだな……。
鬼2 でもまあ、思ってたよりは退屈しなさそうで、これはこれで、って感じですね。
鬼1 そうか。
鬼2 けど、意外でした。意外と先輩も大胆というか、やるときはやるんですね。僕ちょっと先輩のこと見直しました。カッケーっす。
鬼1 よせ、すわりが悪い。
鬼2 やーでも、ちょっと悪いことしてるみたいでテンションあがりますね、これは。
鬼1 なにも悪いことはなかろう。我々は迷える亡者とその家族の未来を守ったんだ。
鬼2 ん?いやまあそうなんですけど。
鬼1 どうした、歯切れの悪い。
鬼2 え?
鬼1 は?
鬼2 え、先輩、一応聞きますけど、わかってますよね?わかって言ってるんですよね?
鬼1 なんのことだ。
鬼2 え、だってこれ、あんまり大きい声でいいたくないけど公文書改竄でしょ。他課でとりまとめてる書類、それも人間の生死にかかわる帳簿を書きかえてるんだから。
鬼1 (思い至って)……。
鬼2 え、は、ちょっと待って。
鬼1 ……。
鬼2 え、まさか先輩、知らないで言ってたんですか?え、僕、てっきり……。
鬼1 ……。
鬼2 えぇ……。えーー……?さすがに冗談っすよね?冗談……え、まじ……マジで?
鬼1 ……。
鬼2 ええぇーーーーー………、、、

  鬼たち、途方に暮れる。
  照明、ゆっくりと溶暗し、幕。

  「鬼の帳簿」了

初演:2019.3.2「雪の演劇祭2019」

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