見出し画像

美しさのエッセンスを

美しさに惹かれるこころのままに、青アジサイの写真を加工してみた。

写真のベースは、先日の「ワイヤレスイヤホン冷戦」で使った青アジサイの写真だ。

YOUは、なぜにそんなに美しいの?

「美しさ」を分解しても意味がないことは分かっていた。全体で美しいのだから、部分を取り出したところで、美しくもなにもないだろうと思ってはいた。

それでもあえて、青アジサイの写真の色を分解してみた。この3日間ぐらい、ずっとそうしてみたかった。

50×50ピクセルの正方形に、青アジサイの写真上にある色をひとつひとつ拾い上げ、タイルのように並べていった。敷き詰めたタイルは、アジサイ色の大きなモザイク模様で、きれいではあったが求めているものではなかった。

そこで、思い切ってタイルを一枚飛ばしに抜いてみた。そして半透明にして、元の青アジサイの写真の上に重ねてみた。そしたら、なんとなく求めていた美しさを抽出できたような気がした。ただ、一枚飛ばしの規則性は、あまり美しいとは言えない。本当は、ランダムに抜きたい。でも、もう夜遅いから、一旦これで良しとする。

でも。なぜ、言葉で表現できない「美しさ」を、理解したいだなんて思うのだろう。理解というか、改めて違う形で美しさを感じたいと思うのはなぜだろう。なぜ、美しいそのままを受け入れるのでは物足りないのだろう。

もしかしたら、美しさを僕なりに消化したいのかもしれない。はっきりとした理由は分からないけれど。美しいものを目で感じるだけでは物足りないのかもしれない。それに触れ、取り入れ、「やっぱり美しい」と確認したいのかもしれない。

もしくは、それに近いけれども、美しいことを証明したいのかもしれない。少しぐらい崩しても、美しいものは美しいままだと確認したいのかもしれない。いろいろなものをそぎ落としていった後に残る美しさのエッセンスを、確認したかったのかもしれない。

と、ここまで考えて思い至ったことがある。この気持ちは、子どもの頃からあったような気がする。美しい母が誇らしかった。幼かった頃のそんな気持ちに似ている。その後の母との関係は、決して単純なものではないけれど。それでもやはり、僕の中に咲き続ける美しさとの繋がりの感覚を、花に投影したのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?