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「最近の若者」の真価

最近のニュースを見ているとちょっと感覚のズレたおじさん(というかおじいさん)たちの発言が多く目に留まる。

もちろんそれが批判されているからニュースになってるわけだしそれがスルーされてないだけまだマシだと思うけど、なかなかこの感覚のギャップは大きいなと思う。これが一概に世代の違いによるもの、と言うのは雑だけれども某元首相とか80歳を超えているのを考えるともう染み込んでしまった感覚なのかなとも思う。

年配と若者の世代間ギャップといえばベクトルは逆向きだけれども、最近の若者はけしからん!って割と使い古された台詞だと思う。でも本当にけしからんのは我々だろうか??

正直どの時代にも若者は問答無用にけしからん的風潮はあったのだと思う。というのも日本は中国や朝鮮半島よりは多少薄まっているとは言えやっぱり儒教の影響を受けていて、年上の意思は必然的に重視される。となると世の中の「普通」は年配者たちが決めるものになっていくのも理解できる。そうすると自分たちと違う考え方をする若者は「けしからん」となるのだ。やっぱり歳を重ねるとそれこそ年長者であるプライドが邪魔してか、自分の誤りや考えを訂正したり修正したりするのが難しくなるのはまあ分からなくもない。

ただこの10年で大きな変化が起きたと思う。このnoteも同じ類だけれども、SNSの普及だ。SNS上ではそれまであまり相互の交流がなかった人々のやり取りが円滑になって、また時には相手の素性など知らずにやり取りすることすら珍しくない。これこそが題名にも書いた「最近の若者」の真価を作り出していると思う。このことをもう少しだけ話したい。

実生活ではやっぱり自分の所属する社会には同じような背景や似たような思考を持つ人間が集まりやすい傾向があると思う。でもSNS上ではそもそも基盤がもっと緩やかな上に「SNS社会」が形成されていったので異なった社会的集団に属する人の考えや経験に触れる機会はSNSが普及する前より圧倒的に多いはずだ。この経験は「異なる」ということに対する免疫を強化することにつながる。今時ちょっとSNSをのぞいてみれば色々な地域、国の出身の人や色々なアイデンティティを持つ人、過激な人や何にも興味なさそうな人、いろんな人で溢れかえっている。この環境は今の70代や80代の人たちが若者だった頃、果たして存在しただろうか?

異なるものに対する免疫こそが我々Z世代が無意識のうちに身につけているものであって、「最近の若者」の真価だと思う。異なる人やものと触れることに最初から慣れていたら、我々が歳をとって自分たちと違う考え方をする若者を見た時、どう反応するのだろうか / できるだろうか。

人の振り見て我が振り直せ、ってことだ。

「最近の若者」を見くびらないでね笑

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