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日本人がChao! と言われる街マリンディ

ケニアのマリンディに来てまもなく1ヶ月が経とうとしています。あと1週間ほどでケニアを出発し、タンザニアに移動してしまいますが、今更ながら、私の住んでいるマリンディについてのお話をしようと思います。

マリンディの街並み

百聞は一見にしかず、ということでマリンディの写真をご覧ください笑

Malindi International Airport
マリンディの街並み
マリンディのスーパーマーケット
家電から食材までなんでも揃ってます!
safaricom shop(SIMカードを取り扱ってます)
ボランティアハウス近くの風景

私が住んでいた地域の近くがこのような感じです。メイン通りはアスファルトで舗装されていて、お店もたくさんあって栄えております。滞在しているボランティアハウスは脇道に一本入ったところにあり、未舗装路が見受けられます。

私の場合、首都のナイロビに滞在することなくマリンディに向かってしまったので、ナイロビに行くまでケニアの都会を知らない状態が続きましたが、初アフリカの私でもマリンディは十分生活できる環境だなと思えるほど栄えておりました。

ヴァスコダガマクロス(Vasco da Gama Pillar)

このマリンディ、世界史に詳しい方だと名前をご存知かもしれません。ポルトガル人のヴァスコダガマがインドに到着する前に寄港した港がマリンディです。マリンディで水先案内人を雇い、ヴァスコダガマはインドへと到着します。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%9E

インド航路の発見を記念した塔もマリンディにあります。

友人との写真しかなかったです!

ヴァスコダガマはマリンディをポルトガル本国に帰国した際、"白亜に輝く港町"と報告したそうです。そこからヨーロッパ諸国のアフリカに対する植民地支配が始まっていきますが、それはまた別のnoteで書いていきます!

イタリア人によるリゾート開発があったマリンディ

ここからタイトルに関連した話になりますが、マリンディは30年ほど前に、イタリア人によるリゾート開発が行われました。海外岸沿いには多くのリゾートホテルが存在し、イタリア人と思しき恰幅のよろしい方々は所々にいらっしゃいます。

海岸では日光浴を、スーパーではおそらくケニア人の若者を連れて買い物をしたりしています(よくわからないですが、ガイドとして雇っているのかも?)。

日光浴の様子

そのため、街中のレストランも海外の人向けのものが多く見受けられます。ピザやパスタはもちろんあります。

日本人がChao!と挨拶されるMbogolo村

私がボランティアで学校建設をしている村がMbogoloという村です。googlemapだと道がなく、何もないですが笑

バイクで20分ぐらいかけてこの場所に向かうのですが、途中の道中、多くの村を通るため、たくさんの現地人に声をかけられます。

元気に声をかけてくれるのは、大体小さな子供たちなのですが、そのほとんどが「Chao~!!!」という挨拶です。リゾート開発の名残りで、たくさんのイタリア人がきたことから、外国人=イタリア人という認識が村に残っているんだろうと思います。

ここ付近の村は、土と木でできた壁でできている家屋が多く(民族で言うとギリヤマ)、限界集落に近い村が多いです。そのため、外国人を見るのがとても珍しく、バイクで通り過ぎるたび、とても珍しいせいか、元気に挨拶してくれます笑 instagramの方で動画も載せているので見てみてください!Malindiから村への変わり様が見れると思います!

ボランティア4人が2台のバイクに分かれて学校に向かっています
Mbogolo村周辺で一般的な家屋
学校周辺もこのような景色がつづきます

ケニアの中でもかなりフレンドリーな人たちが多く、危ない思いはもちろんなく、毎日心暖かくなって学校に通っています。
素敵なところですので、機会があればMbogolo村に訪れてみてください!

https://www.volunteerworld.com/en/review/mafanikio-organization

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