見出し画像

「雑い」は雑だ?

この人に資料を任せれば安心、という人は、どの会社のどの部署にも一人はいます。いや、いないと困ります。
丁寧でしかもわかりやすい資料は、一種の芸術品のようでもあり、誰にでも作成できるというものではありません。
もちろん、資料作成術は、スキルとして年々向上するという面はありますが、短期では上達しないように思います。
また、知識というより、どこか直感的で、右脳の働きが必要な気がします。「見やすさ」や「わかりやすさ」というのは、感覚的なところがあります。

今日も、資料の仕上がりが粗くて、指導を受けている人がいます。
「こういう雑い仕事してちゃだめだよ、もっと丁寧に。読んだ人が混乱するでしょ?」
あれ?うん?「雑い」?
「雑な」じゃないのかな?

ちょっと調べてみると、最近は、「雑な」という形容動詞の形とは別に「雑い」という形容詞の形もあるようです。
また、サッカーの解説で、本田圭佑氏がよく使うという指摘もありました。
そのつもりで聞いていると、若者だけでなく、上の年齢層にも広がりつつあるようです。みなさんは使われますか。

個人的な語感では、「雑い」の方が「雑な」より、さらに雑な印象を受けます。これも我々のような年代だけの語感かもしれません。
みなさんの語感ではいかがでしょうか。