見出し画像

マイ・マイゲーム・マイライフ

1994年 山口県の田舎町にある小さな病院で生まれる。

幼少期 10歳年上の兄がいたので、兄が持っていたNINTENDO64を一緒にプレイする。ある年のクリスマス前、どのゲームが面白いのかわからない当時の自分に、兄貴が「マリオテニス64とか面白いんじゃない?」と促してきた。後日、届いたマリオテニス64を兄貴と一緒にプレイする。

小学一年生頃 初めて自分が欲しいゲームを、誕生日に買ってもらう。ゲームは『ポケットモンスター クリスタル』。セーブのやり方がわからず、最初は同じ村を何回も出発するのを繰り返す。兄に「レポートがセーブだよ」と教えてもらう。最初のジムへの行き方がよくわからず、そこらへんの野生のポケモンを倒し続けてバクフーンに進化させる。

小学ニ年生頃 お年玉は半分以上貯金するというルールに従っていたが、母親に誕生日プレゼント剥奪という条件でゲームキューブを購入。同時に購入したソフトは『どうぶつの森+』。本当はスマブラDXが欲しかったが、当時のガキ大将K君の「絶対に面白そうなソフトを買うのはズルいから禁止」というルールに従い、どうぶつの森を買うことに。でもこれはこれで面白かった。

小学三年生頃 『ポケットモンスター ルビー・サファイア』が発売。もちろん買いたかったが、K君のルールに従い買えず。でも友達はこっそり買ってて、こっそり自分にプレイ画面を見せてくれた。その後K君もルビサファを買っていることが発覚。結局4人グループのうちルビサファを持っていないのが俺だけに。

小学四年生頃 何で揉めたかは忘れたが、K君とは別のグループで遊ぶようになる。『ポケットモンスター リーフグリーン』を発売日にかなり近い時期に手に入れ、新しいグループの友達に自慢気に見せた。その後、序盤で捕まえたポケモンをこっそり逃されるという嫌がらせを受ける。

小学五年生頃 K君と和解し、ついでに新しいグループの友達も合流して6人ぐらいで遊ぶように。この頃はテレビゲームというよりは、みんなデュエルマスターズというカードゲームに夢中だった。

小学六年生頃 ようやくスマブラDXを購入。友人を家に招いて対戦していた。「どうしてもっと早く買わなかったんだろう」ってなるくらい面白かった。

中学1年生頃 当時入手困難だったWiiを、母さんが隣町のおもちゃ屋にかけ合って手に入れてくれた。発売から1ヶ月程度しか経っていなかったので、かなり恵まれていたと思う。『おどるメイドインワリオ』で踊り狂う。

中学2年生頃 インターネットを駆使し、様々なゲームブログを見て情報を得ていた時期。毎日更新されるスマブラ拳Xにワクワクしながら学校から帰宅していた。発売直前になってスマブラXの発売日が1週間延ばされたときは地獄に落とされた気分だった。

中学3年生頃 周りでモンスターハンターが流行り始める。この頃はモンハンを持っていないと友達の輪に入れないくらい、モンハンが流行っていた。PSPは当時熱狂的な任天堂信者と化していた自分には手がだせなかった。マジコンが流行り始めた時期もこの頃で、手を出している友人もいた。自分は2chのまとめサイトの「マジコンやっているやつは糞」という書き込みを信じ続け、手を出さず。

高専時代前半 高専は知識豊富な連中が集まるので、色々と新しいゲームの知識が得られた。ただ、この辺りから試験や部活が忙しくなりゲームを積むようになる。積みゲーのもう一つの原因として、バイト代で買おうと思えばいつでもゲームが買えるようになり、一本のゲームをずっとプレイしないといけない状態でもなくなってしまったから、というのもあるかもしれない。

高専時代後半 WiiUでスプラトゥーンを購入。この頃は授業がなく、昼から研究室にいけばよかったので午前中はもっぱらスプラトゥーン。任天堂の岩田社長が亡くなったというニュースが流れてきた日の朝は、泣きながらスプラトゥーンした。

大学院生時代 ニンテンドースイッチと『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』を発売前に予約し購入。買う前はどうせ積むだろうと思い別のソフトを考えていたが、海外のゲームメディアが公開するプレイ動画に心を打たれ、購入。時間を見つけてはプレイし続け、久々にエンディングを見れたゲームとなった。

昨年 世界的に感染症が流行り、大学も立ち入り禁止に。学会など色々な予定がなくなり、ひたすら『あつまれどうぶつの森』をプレイし続ける。島がいい感じに出来上がってきた頃に、この調子だと卒業できないことに気付く。結果、1年追加で大学に残ることになり、現在に至る。

これがマイ・マイゲーム・マイライフ。




いつもキレイに使っていただき、ありがとうございます。