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小学校を「休学」して、わかったこと⑤/得たものと、失ったもの

休学で得たもの

はじめは休学(不登校)も心配だったけれど、「行かなくても大丈夫そうだ」と思ってから半年ぐらいがすぎると、休学していることにもずいぶん慣れてはきた。そこであらためて、学校に行かないことで、得たものと失ったものは何か?と考えてみた。正直言って、「得たもの」しか思い浮かばないのだけれど。

①豊かな時間と、心のゆとりができた
ともかく、時間に追われることがなくなった。朝は何時に起きてもいいし、何時までに何かをしなければならないわけでもない。親の僕たちも、やれ宿題だやれバスに間に合わないなど、ギャーギャーガミガミ騒ぎ立てることがなくなった。だからこそゆとりを持って日常を過ごすことができる。そして心理的にもとても楽だ。

例えば双子のお姉ちゃんは絵を書くのが大好きな、アーティスト肌。一旦書き出したらいつまでもいつまでも書いている。学校に行ってないおかげで、心ゆくまで書ける。朝も7時は起きてママの出勤を見送るのが日課。ママも”学校いけ”と言わないのがわかってるから、安心して顔を見て見送りができる。だから生活にリズムがないわけでもない。

双子の妹ちゃんは、宿題がとにかく苦手だった。苦手というより”宿題をすることに意味を見いだせなかった”のだ。だから毎晩毎晩べそをかきながら机に向かう。結局つっぷして寝てしまい、朝起きてまたべそをかきながらようやく宿題をする。できなくて学校で叱られることもしばしば。僕たちもアメやらムチやらあの手この手で宿題をするように4年間(!)仕向けたけれど、本人が”宿題に意味を見いだせない”のがわかっていたから、無理に宿題をさせるのも辛かった。その辛さからお互い開放されて得た、日常の健やかさは、なんとも清々しい。

②子どもたちがほがらかになった
休学して半年もすると、子どもたちがほがらかになってきたのを感じた。休学したての頃は、ちょっとしたことで妙に起こったり怒鳴ったり、いわゆる”キレる”っぽい様子が目についてたけれど、休学してからは段々そんなことが少なくなってきた。今ではたまーに姉妹喧嘩をしたときぐらいで、普段はほとんど”キレ”なくなった。

特にお姉ちゃんの方は、キレると家を飛び出してどこかへ行ってしまうことが度々あった。大抵は近所の集落の一本道を街の方へどこまでも歩いてゆくだけだったから、探すのに苦労はしなかったけれど。

そして、いわゆる”自己表現”が、のびのびとしているように感じる。奇妙なダンスや変顔も平気でするし、ふたりで大声で歌を歌っては、ひと目を気にせずよく大笑いしている。(あまり”ひと目”は無いけれどw)

どうもこれは”先生不在”のために、怒られなくて済むという安心感のなせる技のようであり、また小学校高学年という無邪気なようで残酷な人間関係を形成して、お互いに囃したてて牽制し合う日常にないからのようだ。双子の健やかさ、ほがらかさは本当に見ていて羨ましいくらいだ。

③圧倒的に”体験”が増えた
これは①にも書いたように、時間が豊かに使えることが本当にありがたい。もちろんテレビを見たりタブレットで遊んだりもするけれど、外で遊んだりご飯を食べたり、ひまわりを植えたりおばあちゃんとおやつを作ったり、僕の用事についてきてカフェに行ったり人に会ったり。たまには足を伸ばしてビーチに行ったり夜釣りに行ったり。

近所に室根山展望台という施設があり、三鷹の国立天文台にあるのと同じ天体望遠鏡がある。双子の妹は宇宙や星が好きなので、時間があれば天文台に行きたいとせがむ。平日の夕方行くとたいてい客は誰もいず、僕たちだけの貸し切りだ。料金はなんと破格の大人300円!子どもは半額なので150円!巨大な天体望遠鏡で1時間も星を見まくって150円とは(汗)

もちろんこれらは毎日ではないけれど、”遠足”のような豊かな体験ができるとも言える。この圧倒的な体験の量は、僕から見ても羨ましいものだ。

④親子の関係に、嘘がなくなった
意外なことに、これが一番大きいことのように思う。子どもたちを学校に行かせるということが、親の僕たちにとってもとても辛かった。なぜなら、学校が楽しくないとわかっていながら、”学校に行くこと”しか、子供に与えることができなかったからだ。自分に嘘をつき、子供にそれを押し付ける。それをしないことで、親子の関係がとてもフラットで、誠実なものになった。
そして、子どもたちと多くの時間を過ごし、観察し耳を傾けたことで、人としての信頼関係が築けたように思う。コロナ下で、子供との時間が増えた方も多いだろう。コロナ下の時間は、子供と親にとってのギフトかもしれないのだ。

失ったものはなにか

考えてはみるものの、得たものと比べるとあまり思いつかない。あるとすればやっぱり”友だち”かもしれない。でも同じような”休学組”の友だちはいないいわけではなく、また”同い年”というくくりにこだわらなければ、出会う大人は全て”友だち”と呼べるかもしれない。でもやっぱり欲を言えば、年の近い友だちはもう少しいたらいいのになと、思わなくはない。

それ以外のことは(学力と社会性について)、前々回の記事に書いたように”失って”はいないだろう。

学校に行かないという選択肢

アメリカの友人から、「ホームスクーリングはないの?」とメッセージを貰った。残念ながら、僕らの住む岩手にはまだ概念すら(もしくはホームスクーリングという言葉すら)、無い。フリースクールだって無いのだ。(しかもコロナ感染者も出ていないので、休校にすらなっていない!)東京や大阪には’ホームスクーリング」が、”お話”としてではなく、現実の”選択肢”としてあるのだろうか?

僕らの「休学」プロジェクトが、「ホームスクーリング」だけだはなく、フリースクールやオンライン授業など、学びの選択肢が増えることに繋がることを形にしていきたいと思っている。

次回、(最終回かもしれない)学校と子どもたちの学びの本質について書きたいと思う。

読んでいただき、ありがとうございます。

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【 佐藤良規 】
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