見出し画像

Terakoya 3.0とはなにか

誕生日のお祝い

皆さんおはようございます。

昨日も寺小屋では子供たちがのびのびと遊んでいました。
キッチンを担当してくれているマミさんの誕生日だったの、みんなでメッセージを思い思いに書いて、そして友人が差し入れしてくれたケーキを子供たちが飾り付けして本人にプレゼントしました。

マミさんは目を潤ませながらとても喜んでいて、子供たちもそれを見て戸惑いながらもとても嬉しそうにしていました。こういう世代を超えた交流ができるのもこの寺小屋の豊かさだなぁと感じました。

1.0と2.0

さてこの寺小屋(寺子屋)はTerakoya3.0という 呼び方をもしています。 私たちが一般的に寺子屋といって思い浮かべるのは二つ大きく二つあると思います。一つには主に江戸時代に始まった読み書きを教えるのはいわば「学校の前身」としての学びの場。これを寺子屋1.0とします。 そしてもう一つは現代においてお寺さん(あるいは一般の団体)が提供する「社会活動」としての学びの場。これを寺小屋(寺子屋)2.0とします。 そして僕たちの「森の寺小屋」は、その2つとは明らかに違う Terakoya3.0と呼んでいます。

Terakoya3.0とは

現在は「ニューノーマル」と呼ばれる模索のまっただ中。コロナ騒ぎの副産物として、教育や学校のあり方が大きく変わろうとしています。

Terakoya3.0とは、それは大人も子供も 立場も年齢も関係なく生きるって何だろうということを立ち止まって じっくりと感じ、考えることができる場所。
学校や教育のその前に、「生きるとは何か?」という学びに出会える場所です。(禅では仏教を学び実践することを”学道”よいいます。)
そしてその本質的な学びにおいて、多様な人や団体、儀式や作法、生と死にまつわる行事などのリソースが自然に集まっている場所。
お寺は、こういう形で必要な人に(子供だけではなく、大人も)場所や知恵を提供できる。これこそ、本当の意味でお寺本来の姿ではないでしょうか。

そんな願いを込めて、Terakoya3.0 と名付けました。

次回は、森の寺小屋はどんな場所でありたいかについて書きます。

サポート、お願いはしませんが、喜んでお受けします。文章を書くことは私にとっての”托鉢”修行といえるかもしれません。