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文明飽和で遺るもの

文明が飽和すれば,幸せを文明によって“創る”ことができる.

創造を膨張させ,確かな現実を妄信することができる.ホルモンの分泌を支配下に置き,楽しくなくても楽しいと信じることができる.

文明は飽和し,世界は分断されてゆく.

VRをはじまりに,世界は分断された.
面倒な他人とも向き合う必要もなくなり,ヴァーチャルな世界線で幸福を各々が自律神経までをコントロールし,象っていく.

この文明が飽和した世界線でぼくらは何を信じればいいんだろう.


ぼくは『時間』と『自意識』に価値が絞られると考えている.

このnoteは数ヶ月後のぼくに書いています.
改めてぼくが読んだときに別の切り口から展開できるよう抽象的な表現を多く含みます.情報化社会が好きな人は損するので読まないでください.

この先,時間の搾取となっております.足元にご注意ください.


遺された時間

この人と,どうして仲がいいんだろう.

そう考えたときに,時間を賭してるからだとぼくは考える.
小学校からの同級生は,別にそいつじゃなくても良かったけど,過ごした時間があるからこそ,そいつじゃないとダメになってくる.

文脈が大切だ.

だから,時間は大切になってくる.
愛着も時間がなければ生まれることはない.直感で愛せたとしても,確認のための時間と愛でるために賭す時間がいる.

文明が飽和したら生命も永遠になるのだろうか.

そうなったとしても,そもそもの選択肢自体が無限にある.
情緒的かつ浪漫的な永遠を用いて数量的な無限を追うことは徒労だ.
それに順番も大切だ.順番を操るために時間をコントロールできたとしても,次に脳の学習領域,記憶される領域に介入する必要もでてくる.
それに人間は恒常性という防衛本能を持っている.

足りない経験を陳腐な想像で補うことができる.
そうやって数量的な無限を擬似的に追うことができる.もはやその流れの人間の習性的に無限な選択肢を辿るための永遠は実際に存在しないだろう.

愛とやらの証明も時間に帰結する.
そういった意味で時間は文明が飽和しても本質的には有限だ.



遺された自意識と人間の意志

ヴァーチャルで繋がれたとして,とある世界線の独裁者になれたとして.

人は本来の人を求め合うと思う.

ヴァーチャルは一種の逃避空間として機能し,精神緩和のために機能するはずだ.むしろそう信じたい.
人肌の肌触りを再現できたとしても,温もりを感じれたとしても,人肌を求め続ける存在で在り続けてほしい.
主客の不一致による,感覚質の不一致に挑み続け肉体的に開放されない不自由な人々であって欲しい.

文脈に過剰な価値を見いだして欲しい.
「壊れたら取り換えれば良い」文明はこれを可能にしてくれるけど,人間らしい情動を持って文脈に自意識過剰になってほしい.

結果につきつけてやるべきだ,過程にこそ意味があるのだと.


人という抑も非合理的な存在にも関わらず,合理を追い求めた愚直なモダニズムから開放され人間性を発露させなければならない.

そうなるために自意識こそが持てるべき指針として.自意識だけが確かなものとして.それがたとえヴァーチャルに閉じ込められた世界線でも自意識こそそれを超克できる.


文言・写真/うめの瑳刀


のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.