見出し画像

たとえ例えが巧かったとして

例えが上手な人は頭の回転が早くて羨ましい.

例えが上手な人は“普通”を知っていて“共感覚”を持っている.
ぼくはそんな人になりたいし,今日はそんなnote.


“普通”を知っている

普通っていうのはない.

そんなこと,義務教育を抜けてしばらく経てば気づいているとは思う.便利を履き違えた都合のいい言葉だということは.

普通という言葉は金棒.
「普通そうだよね?「普通そう思わない?」
ぼくは後ろ盾をつけたがるこの言い方が嫌いだ.

普通によって「我は多数派なり」と,社会では当たり前だと,個人から集団に自己を挿げ替えようとする劣悪な言葉だ.ぼくはそんな印象だ.


だけど,今回の“普通”は最大公約数的な“普通”という意味で,良い意味での“普通”.

この場合の普通はお互いの理解を能率的に行うためにみんなが経験したであろうことを持ってきて“普通”を『共感』のために利用する.

自戒の念を込めて自称アーティストだった頃,振り返ってイタイところは誰かと違うことをしようと思い上がっていたことだと思う.これは間違っていて,他と違うことをしようと思えば“普通”に向き合わなければならない.

“普通”に対して誰よりも真摯に向き合わなければならない.


“共感覚”を持っている

芸人さんやらはこの感覚が著しいと思う.

ひとつの感覚が他の感覚と網状的に連鎖し,繋がっている.それを如何なるときでも正しいタイミングで引き出し,共感と切り口によって面白さを引き出す.

天才的だ.

現在のぼくはと言えば,さっきの「天才的だ」みたいに「〜的」とかなんやらでいつもごまかしている.お見苦しいところをお見せして毎度申し訳ありません.

例えの秀でているところは,
理解してもらえなくても面白みとして受け取ることができるし,なんとなくでも理解できるから相槌は打ちやすくなる.ユーモアを狙った例え話で理解してもらえれば,そこから話も本格的に拡げることができる.

例え話は共感しやすいし,どちらに転んでも愉しむことができる.


例え話は素晴らしい.まるで,まるで,,まるで,えっと.


たとえ例えが巧かったとして,ぼくはモノを作りたいんですよ.自称クリエイターなのでモノを作りたいんですよ.

しばらく見逃してください.


文言・写真/うめの瑳刀

のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.