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GUIでなければ遊ぶことを意識できないか

大学の後輩が楽しげにキャラクターのぬいぐるみを抱えている.ゲームセンターで獲れたみたいで,それをみせてくれたのをよく覚えている.

ゲームセンターは人間が人間を楽しませるために作ったもの.

ぼくらは人の意図の中でしか「遊ぶ」ことを意識できないのだろうか.


「遊ぶ」を意識する

休日は休日らしく遊びたい.遊んで息抜きがしたい.

「遊ぶ」ことを意識して有意義な時間としておきたい.
「遊ぶ」と意識するためには社会性は必要なのか.

そう考えると遊び方をGUIとCUIにわけて考えたくなった.



GUI(グラフィカルユーザインタフェース)

GUI(Graphical User Interface).

GUIという言葉は主にコンピューターや機械などに用いられる言葉だけど,今回は範囲を拡げて考えさせてほしい.

GUIはグラフィカル.つまりデザインが施されていて,ぼくらのために理解りやすく整地され,導線まで意図して設計されている.

例えば,ボウリングとかカラオケとか.あと,さっき言ったゲームセンターとか.これらは目的がしっかりしていて導線もスムーズだ.

ボウリングならボールを投げてピンを倒す.
カラオケはマイクで歌う.
ゲームセンターはゲームを興じる.

「みんな,どこ遊びに行く?」となれば,そんなようなGUIが列挙される.


ぼくは,あんまり魅力は感じない.
友達が少ないのもあるけど,そこはそっとしておいて欲しい.

兎にも角にも,ぼくはCUIが好みだ.



CUI(キャラクタインターフェース)

CUI(Character User Interface).

CUIはグラフィカルではなく,GUIと対蹠的にあるインタフェースのこと.これもコンピュータ系統の言葉だけど拡げさせてほしい.

例えば,旅だ.

いいホテルに泊まってプールで泳ぐとかじゃない.極楽な温泉旅でもない.海外旅行でもない.ツアーでもない.

要はインスタ映えしないもの.

GoogleMapを表示させて目的地に対して「8分遅く到着」とか書いてある方を好き好んで選んでいく旅だ.もしくはアプリすら立ち上げずに赴くままの旅のこと.

そんな感覚的で予定調和がない旅.ただ日常がたたずんでいることを眺める旅.

そんなCUIに依りすぎた旅がぼくは好きだ.

GUIを興じるみんなをみて,”遊びたい”のではなく「遊ぶ」ことを意識したいだけなのでは,と思った.



機能としてのGUIを分解する.

なんだかんだでぼくもGUIの遊びも嗜みます.目的が明確なこともあってすこぶる機能的なGUI.ここいらでGUIの機能を分解してみようと思う.

・すぐに想像できる
「どこ行くー?」で「カラオケ」と言えばみんなが内容や予算も含めてすぐに想像ができる.わかりやすい.

・その他大勢での交流を目的にする場合に有効
バーベキューとかそうだけど,何をするかが明確なことによって過程に集中できる.過程が決まりきった手順だから相手の人間性を伺うことができる.

・ながら話でゆるやかな関係作り
会話を持たせるには少なくとも,ある程度の関係性が必要だけど,「ながら話す」ことによって気軽なコミュニケーションがとれる.

・肉体疲労による遊んだという感覚
公園で無邪気で遊ぶのも年頃的にも恥ずかしくなってくる.みんなもやっているということで恥ずかしがることなく取り組める.


などというGUIとしての機能性はある.


ただ,近所のスーパーマーケット,近所の公園を散策するだけで遊んだ感覚になれるぼくにとって,さっきあげたGUIの機能性を必要ともしないのにGUIを嗜んでいるのではないかと感じるときがある.

つまり,社会と比べた優越感を源泉にようやく「遊ぶ」ことを意識することができているのではないかと疑問に感じるということ.顕著にはインスタ映えという時代が生み出した単語がいい例だ.

GUI的なインスタ映えする楽しそうな現場に合流しても,「遊ぶ」意識に囚われていて生臭いことがよくある.

社会的にしか「遊ぶ」ことのできない自主性が乏しい人たち.これは,そんな考えに至ったぼくの哀れみの感情ともしくは羨望なのかもしれない.


いずれにしても,AIやIoTの台頭で世の中はますます便利になっていく.遊ぶ時間は技術の向上と比例してちょっとずつ増えていくことだろう.

そうなったとき,ぼくらはちゃんと遊べるのだろうか.


文言・写真/うめの瑳刀


のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.