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岩おこしと梅仙堂の歴史について

今日は、おこしの歴史について書いてみようと
思います!

大阪は江戸時代に「天下の台所」と呼ばれ、良質な米や飴が安価で手に入ったことから粟おこしの製造が盛んになりました。粟の実を水飴で固めた“おこし”は平安朝初期、浪花に立ち寄った菅原道真に献上したお菓子がその始めとされる大阪の名物です。原材料は粟(現在は、お米)、生姜、ゴマを使用しています。

岩おこし

岩おこしという名前の由来については、江戸時代に大阪で運河工事がなされた際に、たくさんの岩が出てきたのを見た大阪人が「大阪の掘り起こし、岩起こし」 という駄洒落を言ったことと、固いおこしをかけたことが、岩おこしの名の由来であると言われています。

また大阪の岩おこしには梅鉢の御紋が入っています、これは太宰府に流される菅原道真が、潮待ちのため現在の大阪市上汐辺りで休憩していた時に、同情した老婆が菓子を献上すると、菅家の梅鉢の御紋が入った自分の着物の袖を老婆に与えて、感謝したことが始まりとされています。

梅仙堂は、江戸時代に初代が御池橋東詰南(現:大阪市生野区)に「天狗の岩おこし」と称して創業しました。 大正時代に先代から引継ぎ、 創業100年になります。全国菓子品評会・名誉総裁賞受賞しています。大阪を代表とするお土産等として大阪産名品にも認定されております!

梅仙堂本店
現在も梅田で製造しています。


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