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小学生〜中学生の頃のテレビの思い出(木曜日編)

以前に続いて、僕が一番能動的にテレビを見ていた小学3年生から中学3年生くらいまで(2004〜2010年)の思い出を、Wikipediaなどを参照した正確なデータはあまり使わず、当時の記憶を掘り起こして書いてみようと思います。今回は木曜日編。


とか言って早速2004年以前の話になるけど、僕の住んでいる静岡県にはテレビ東京系列がないため、木曜19時のキッズ向けビッグコンテンツ「ポケットモンスター」は同時ネットではなく、普通なら見れないところが、県西部に住んでいると、愛知県の民放をちょっとしたノイズ混じりに受信することができたため、問題なくポケモンをリアルタイム視聴できてました。
ただアニポケがド直撃世代なのは僕よりも5〜6つ年上の兄と姉で、僕はそんなにリアルタイムで見たことはなかった。粗品と同じくポケモンはゲーム派。タケシとカスミはただのジムリーダー。オレンジ諸島よく知らない。
なお、伝説のポリゴンショックの回を、当時小学校低学年だった兄と姉はリアルタイムで見ていたらしいのだが、ちょっとしたノイズ混じりだったことが逆に有効に作用したのか、体調が悪くなることは一切なかったらしい。

2002年ごろにポケモンよりよく見ていたのは「いきなり!黄金伝説。」。この頃はふかわりょうのゴミ屋敷ロケがメインだった気が。ある時を境に1ヶ月1万円生活がメイン企画になり、当時めちゃイケを見てなかった僕はこの番組で濱口優という存在を知りました。あと有野晋哉という存在は2年ぐらい遅れて知りました。1ヶ月1万円生活は濱口優が面白くて、パッションで節約生活を乗り切る感じ、しゃくれというニワトリを卵産んでくれる相棒として大切にする感じ、モリで漁する感じ、とかいろいろ漫画の主人公みたいな要素が詰まってて子供の心を掴んでたよね。あと久保恵子を好きになるノリなんだったんだあれ。1ヶ月1万円生活がマンネリ化した後は当初の「1週間○○しか食べない」系の企画が復活してそれも楽しかったな。アンタッチャブルがマグロしか食べない生活(オリラジもやってたっけかな?)やってたのは鮮烈に記憶に残ってるなぁ。あと中学生ぐらいの頃、当時人気絶頂だったオードリーがサイゼリヤのメニュー食べ尽くす企画やってたのは見てて楽しかったな。春日が楽しみにしてたプロシュート食べちゃう森久美子。あと黄金伝説の年末スペシャルってなんであんなに長尺だったんだ?


日テレの木曜7時といえば「週刊ストーリーランド」もあった。ほとんど内容覚えてないけど、西村雅彦がMCでゲストによく森久美子出てたような記憶はある。あとアニメ本編は16:9で、4:3画面の余った黒枠部分に字幕テロップが出る形式だったような。今考えると毎週違うアニメ作るってめっちゃ時間かかってるよな!と思う。アニメを使うフォーマットは、逆に今なら刺さる層には刺さるかも。


週刊ストーリーランドの直後かどうかは覚えてないけど、堺正章・優香・ガレッジセールがレギュラーの「ウルトラショップ」も同じ枠で始まってたような。20時台だったかもしれない。一般の家族が豪華賞品をかけてゲームにチャレンジする的な内容。この番組の本編を見た記憶はあんまりないんだけど、「来週スタートです!」的な事前特番を見たんだよね。その特番内で、セットの奥から飛び出してくるレギュラー陣の映像が繰り返し流れてて、そこだけはなんか覚えてる。


木曜7時台は黄金伝説か、もしくは「クイズ$ミリオネア」が定番だった。7時54分ぐらいになっても100万円の問題とか挑戦してたら、残り時間的にここで失敗すんだろうなってわかっちゃってたよね。視聴者の挑戦が無くなって芸能人ばかりになっていった末期の頃、井森美幸が1問目で不正解になった回があったなあ。あの時ちょうど僕はポケモンのパールやってて、テンガンざんに入って、レアコイルをジバコイルに進化させるためレベル上げをしながらテレビ見てたな。記憶に残ってる。ミリオネアといえば個人的に思い出深いのは、当時僕の母親が挑戦しようと思い立ち、電話でのエントリーに申し込んだこと。申し込んだから電話が来たのか電話したらすぐ繋がったのかは定かではないが、とにかく運営側との電話での接触に成功した母親。電話口で数問のクイズが出題され、見事に散ったので1000万円の夢は数分で潰えることにw ミリオネアって叶えたい夢とか借金返済とか賞金の使い道がドラマチックな人が多かったイメージだけどうちの母親は何に使うつもりだったんだろ。シンプルに貯金だろうか。


長らく続いたミリオネアの後番組は、アニメを実写でドラマ化した単発特番がレギュラー化した「まるまるちびまる子ちゃん」だった。毎週見てたわけではないが、たまに見るとドラマパートのあとバラエティパートがあって、まる子の父親役の三村マサカズと、全然関係ないはずの大竹一樹がバラエティパートになると何かしらのキャラクターに扮して進行してた覚えがある。あとエンディングでは視聴者の親子がお風呂で歌ってる映像を流す「フロオケ選手権」みたいなコーナーがあったような。これが始まったのが小6のころなんだけど、当時地域の子供会かなんかでクイズ大会があって、その中で「まるまるちびまる子ちゃんは何曜日にやっているでしょう? 【A】木曜日【B】日曜日」というミスリード問題が出題されたのをやけに覚えている。テレビっ子だった僕は速攻でAを選んだな。


この番組が1年で終わった後に始まったのは、三宅裕司とオリラジが出てた「全国一斉!日本人テスト」というクイズ番組。三宅&藤森慎吾が進行役で中田敦彦が回答者だったような気が。そんな特別熱心に見ていたわけじゃないけど、個人的に思い出深いエピソードがある。中1の頃(2008年)の夏休みにお台場冒険王に行って、当時水泳部だった僕は同級生の部員に各番組のキーホルダーをお土産に持っていった。はねトびとかレッドカーペットとか人気番組がある中で、なぜか人気がほぼなかった日本人テストのクマのキャラクターのキーホルダーを買ってしまって、渡した友人には「誰も知らない番組のをあげちゃって申し訳ねえなあ…」と思っていたのだが、中3になった頃にそいつが持っていた携帯かウォークマンに、日本人テストのキーホルダーがぶら下がっていたのである!こいつは!!2年も!!人気のない日本人テストのキーホルダー持っててくれてたんか!!!!お前は友達だ!!!!!と思ったのでした。それだけ。


この番組が終わって土曜昼から移動してきたのは「VS嵐」。フレンドパークばりのゲームセットは見応え抜群でしたよね。中3になって月曜日と木曜日の夜に塾に行くことになりあまり見なくなったけど、10年近く基本フォーマットを変えずに続いてたの凄いよね?



8時になると「うたばん」を見ることがそこそこあったような。あれは多分、2000年前後にモーニング娘。が好きだった姉の影響かもしれない。トークパートで左下に出てくるテロップが好きでした。あと楽曲披露パートで曲のタイトルとアーティスト名が出るけど、うたばんは何故か作詞者・作曲者のクレジットがなかったのをなんとなく覚えてる。

同じく8時台、たぶん1年ぐらいしかやってなかったと思うけど、爆笑問題が出てた「摩訶!ジョーシキの穴」もそこそこ好きで見てたな。たぶんクイズ番組だったと思うけどどんな問題出てたかは定かじゃない。ただ最終問題で間違えるとスタジオ内で逆バンジーみたいな罰ゲームはあった気がする。


木曜9時といったら「とんねるずのみなさんのおかげでした」。僕が物心ついたときにはすでに「おかげでした」だった。もうコントはやらなくなってほぼ食わず嫌いだったから、メシ食う番組としてキッズの頃は認識していたかな。前半のコーナー面白いのに後半食わず嫌いになるからあんまり毎週食い入るようには見てなかったかも。
そんなことを思ってたら2009年ごろから食わず嫌いが不定期コーナー化、1時間通してお笑い企画やるようになったのが嬉しかったよね。でももうその頃おかげでしたへの興味が薄れていたからそんな熱心には観なかったなー結局。あと8時台のうたばんが移動してから、改編期のスペシャルが7時開始のも増えたのが何となく自分の中では印象的だった。
あと、2009年の年末だったと思うけど、「とんねるずを泊めよう!」の爆笑問題田中裕二編があって、とんねるずが太田光と一緒に3人で田中宅を襲撃してたんだけど、ちょうどその収録時にM-1グランプリが生放送中、ファイナリスト数組のネタをとんねるずと爆笑問題が静かに見守るというシーンがあった。いいとものグランドフィナーレよりもずっと前で、不仲説がガンガンに囁かれていた頃だったし、「この4人の視線の先に島田紳助と松本人志がいるんだよな………」と企画の本筋そっちのけでワクワクしたな。
全然関係ないけど、うちの母親はとんねるずのことを「人をいじめるから好きじゃない」とよく言っていて、その影響が色濃く残っていたから、子供の頃はとんねるずをテレビで見るのがちょっとだけ怖かった。そしたらなんでダウンタウンは良かったんだろう。相当なことしてたぞw


夜9時の日テレ系といえば、司会者を変えて今なお続く「秘密のケンミンSHOW」。土曜か日曜のお昼にやってた単発特番のとき面白いなと思って見てたら小6のころレギュラー化して、なんか歴史の目撃者になった気分で嬉しかったな。いや別に、全く歴史の目撃者ではないのだが。
静岡ケンミン代表として昔からよく勝俣州和が出ているけど、勝俣は静岡出身とはいえほぼ神奈川に近い御殿場市出身なので西部出身の自分には親近感がなく、静岡枠が勝俣のせいで潰れていたのが当時の自分には結構不満だった。


夜10時はフジ系がドラマに切り替わるので、ドラマに興味のなかった我が家は日テレ系に変えて「ダウンタウンDX」を観てたな。幼稚園とか小学校1・2年の頃は夜10時ってだいぶ遅いから、この番組見る時は眠気で意識が朦朧としてた。
スターの私服の叶姉妹はもちろん凄いと思ったし、人生で初めて目にした「巨乳」はもしかしてこの番組の叶姉妹だったのではないか?それが何?
あと多分俺だけだと思うし特に理由もないけど、トーク中に写真出す時の「ジャラ〜ン」みたいな効果音がすごい好きだった。この効果音めちゃくちゃ前に使われなくなっちゃったんだよな。最後に使われたの多分2003年ぐらいかな?
2010年の松本人志療養復帰後の初収録がガキ使だったんだけど、その直後に収録したダウンタウンDXのOPがガキ使よりも先に放送されて、結局ガキ使のトークがお蔵入りになった記憶がある。なんでだったんだろうね?


木曜日の23時台といえば、アメトーークが定着するまでは「VivaVivaV6」を割と見てたかも。メシ番組だったしそんな前のめりでは見てなかったけど、テロップの出方とか、VTRで出演者の顔写真を切り取ってゆらゆらさせる演出とかで、たぶんミリオネアの人とスタッフ共通してるな!と子供の頃に思ってた。たぶんだけどのちにダレトクとかもやる人じゃないか?


そして「アメトーーク!」。当時高校生だった兄が「猿岩石の有吉が品川を「おしゃべりクソ野郎」って呼んでてマジで面白かった」と言っていたのを覚えている。物心つく前に売れて解散してしまった猿岩石の存在を当時の自分は全く知らなかったし有吉って誰だよ!と思ってたな。でも兄貴からアメトーークは面白い番組だとよく聞かされていたから、祝前日が木曜日だった時に人生で初めてアメトーークを夜更かしして見ようと思った時にやってた回は「ミッドナイトイーグル芸人」という名の、映画番宣企画w 今となっては考えられないが祝前日ということで映画に出演する大沢たかおや竹内結子らをメインゲストとして招いた回で、お笑いを期待していた自分は結構ガッカリした。ただ、俳優陣におすすめ芸人を紹介!的な流れでおぎやはぎ小木が呼ばれて「ねじまはじま」のくだりやっていてそれはとても面白かった覚えがある。
毎週見るようになったのは、PSPのワンセグが導入されて自室でもテレビが見られるようになった2009年の春。最初に見たのは「じゃない方芸人」の回。じゃない方だけで盛り上げたはずの最後に人気の相方たちが登場してそれを上回る盛り上がりを見せ、じゃない方を連れて帰っていく中、田村淳が現れず一人で帰る田村亮、というオチがなんか忘れられない。
この頃熱心に追ってたからなのか覚えてる企画が多い。ラストで宮川大輔が京都出身だというオチで終わる「滋賀芸人」、そういうAもあるんですねでお馴染みの「夢トーーク」、この回のおかげでハートチップルの存在を知った「チョコ&スナック菓子芸人」、クル〜〜!!というギャグが生まれた「後輩の山崎に憧れてる芸人」、今だったらタイトルでアウトな「和田という男」、明石家さんまがテレ朝に珍しく出てきた「雨上がり決死隊結成20周年企画」、小学校では割と人気者だったかもしれない自分がDQN寄りの運動部に冷めた視線で笑われるようになってからコミュニケーションに恐怖を覚えだした頃に放送されてめっちゃ刺さった「人見知り芸人」など。いや今考えても名作が多いな!
あとこの番組の「カラオケバイト芸人」で、割れたグラスは正直に言ってくれれば大丈夫だから何も言わずに放っておかないでほしい……というピース綾部か誰かのトークを見た直後に友達とカラオケに行って、まさに友達がグラスを割ってしまったので、アメトーークで見た情報を話して店員さんに対応してもらった思い出がある。
トーク番組はこれまでもよくあったけど、芸人しか出ないトーク番組って、割とこの番組が始まるまではそんなに多くなかったのでは?関西を含めたらそんなことないかもしれないが、少なくとも個人的な感覚では、トーク番組の「芸人枠」で1組だけいたような。アメトーークでは全員芸人だったから当時の自分には新鮮に映ったのかもしれない。






とまあ今回もただの思い出を羅列していきました。ざっと思い出せる番組だけ書いたので、好きだった番組を取りこぼしてる可能性はすごいある。静岡だと木曜深夜に遅れネットしてた検索ちゃんをよく見てたとか、火曜深夜に月1でやってたせいでさまぁ〜ず×さまぁ〜ずの遅れネット幅がどんどん広がっていた「ピエール瀧のしょんないTV」が木曜に移動してくれてありがたかった話とか、書き終わってから思い出してる。けどキリがないのでここで終了!

また金曜日編も書きます。


おわり。

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