母と娘

私の学生時代は、このテーマ抜きには語れない。

母子家庭時代の母の口癖は
「あなたが居るから頑張れる」だった。

家庭的な母ではなかったけれど、母性に満ちた母。
ほとんど社会を知らずに親となり、なかなか母親になるまでに時間がかかった母。
私は小学校にあがる随分前から、聞き分けの良い利口な娘を目指した。ただがむしゃらに。

やがて母が再婚して、素晴らしい生きものが我が家にやって来た。妹だった。
妹を通じて、継父をパパと呼べるようになり、文字通りの【家族】が築かれた。

精神的にかなり早い段階から、私は"子ども"である事を捨てていた。
妹が出来てより一層その精神的発達は成熟したと思う。妹との【姉妹】の関係を導き出すのに19年かかった。

共働きの両親の代わりに、小学校中学年から母乳をあげる以外の一切の育児をこなした。
幼稚園の送迎を始め、放課後・週末の子守り。
当時の私を知る友人のご両親からは、「おんぶ紐にくくって妹さんを連れてきてたものね」と今でもネタになっている。

母は妹を育てる時には、私の子育てより9年分母親らしくなっていた。

朝、起きられるようになっていた。
お弁当を持たせるようになっていた。

私は母から一心の愛情を注がれて育ったと分かっているが、私にはそれらの事はしてもらえなかった。

妹を心の底から愛している一方で、
母親にしてもらえなかった表面上の世話に嫉妬するくらいには、子どもだった。

外の世界に居場所を求めたのは、孤独だからじゃない。愛されていないと感じていたからでもない。

ただただ母の「物分りの良い娘」から逃れたかった。

家にあまり帰らない日々は6〜7年続いた。

成人より少し前に、私は大恋愛をした。
子どもの頃の初恋ではなく、大人に片足突っ込んだぐらいの不安定な初恋。
ますます家に寄り付かなくなった。

その間に妹は大きくなっていた。
免許取りたての車の助手席に友だちを誘うのは恥ずかしかったり不安だったりしたから、家に居るいつでも付き合いの良い存在が妹だった。

19歳の冬、妹を乗せた車の中で音楽をかけて2人で唄いながらドライブをしている時にふと思った。
「なんだか姉妹っぽいな〜」
きっとこういうのが姉妹の関係なんだと確信した。

だから、妹が生まれて23年だけど、私たちの姉妹関係はまだ13年足らず。

母が再婚してからずっと、母が母になっていく過程より、私の心の成長スピードの方が早くて、母の不安定さや脆さを弱さと見なして拒絶していた。
だけど母は、妹の成長と共に逞しい母親になり、私自身が結婚を経験してからは、母の深い愛情を信じているし尊敬している。

そんな母と娘の、ちょっとしたお話。
ここだけでは語り尽くせない話の一片を、
眠れない夜にすこしだけ。

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