女性の役割過多

女性の社会進出が進んでも尚、
女性に纏わり付く文化的価値観の押し付けは健在。

地方都市では25を過ぎると団塊世代の叔父叔母に
「結婚はまだか」
「そろそろ結婚のお年頃だね」
と言われていた。

私は大学を出ているので、社会に出てたかだか3年足らずで、もう"結婚"がのしかかってきた。

結婚願望はあっても、昔ほどお見合い文化はもうない。自力でインターネットを使ったり、友人のそのまた友人まで辿ってみたりと努力は惜しまず…

ようやく結婚しても、次に待ち受けているのは
「お子さんは?」
「早いうちに孫を産んであげないとね」

まったく、馬鹿馬鹿しいのだけれど
それがまた本当に皆、口を揃えて同じことを言うのだから。

世の中って不思議。

いつからか、私が大好きな海外ドラマや映画では、毎日手料理をする妻の演出はない。
大抵はテイクアウトのチャイナフードを食べている。

でも日本はどうだろう。
パートタイム、フルタイムで働いても
ほとんどの家庭で、帰宅後に晩ご飯を作り
洗濯機の中身と相談しながら簡単にでも掃除洗濯
食事の後片付けエトセトラ…

私の1日を列挙するだけでも項目が多すぎて
我ながらゾッとするので後はご想像にお任せして。

これに子どもが居れば、保育園までの送迎や
先生達とのやり取り、学校に行き始めたら心配事はもっと拡がっていく。

社会で女性の地位が認められつつある中でも、
変わらず女性が、社会や、女性たち当事者から受け継がれている一連の役割は残り続けている。

妊娠も出産も女性しか出来ないという生物学的な課題がクリアされない限りは、子育ても母性に優る者なしだと私は思う。

それでも結婚したいのか。

私は、結局【結婚】のロマンチックな響きに憧れながらも
多様化した社会の中で生き抜いていく能力や、結婚以前の恋愛問題に終止符を打ちたかった部分が多分にある。

私は、結婚がもたらす国のシステムや、
社会の既婚者への目に感謝する反面、
世の中の、強いてはごく身近な周囲との
結婚生活へのイメージとの擦り合わせに疲弊する。

私は恋愛結婚をしたし、夫婦の関係はいたって良好であると言える。
でも、我が家を出てしまえば話は変わる。

結婚に護られながらも、既婚者の既存価値観と闘っている。

独身の友人は現在、結婚願望炸裂大暴走をしている。
彼女はこの5年、何度泣いてきただろう。
結婚という呪文を、人生において必ず通る
通過儀礼かのように繰り返し唱えている。

でも彼女は、そもそもパーソナルな人間関係をつくるのがとてつもなく不得手なのだ。

彼女の結婚は、イコール恋愛結婚であり
彼女の幸せはもはや、
【結婚しなければならない】
を乗り越える事それのみになっている。

かくいう私も、結婚のキラキラした幻想を手に入れたくて結婚したような節があるので、
彼女を真っ向からは否定できない。
でも、だからこそ、
私の現在は、不妊治療に足繁く通い
身も心も擦り減らし
結婚の次のステップ【出産】の呪縛に自らズブズブ突進し続けている。

だから彼女に言いたい。
出来ることなら、今のうちに外国へでも行って
日本よりもっと多様な文化と人種と人々に触れて
自分軸の人生を体感してみてはどうかと。

子どもはもちろん切望しながらも、
どこかで私は、そんな生き方をするべきではなかったのかと自問している。

そう、彼女はまさにいつかの私なのだ。

子どもを産み育てることの喜びに代えられるものなんてない。

本当にそうなのかも知れない。

ただ、結婚しようがしまいが、
彼女も私も、
自分という軸がぼんやりでもあってこそ、
ほんとうの意味で、自分が望むもの(結婚・出産)
を手に入れられるんだろう。

そう思いながら、今日も紅茶を啜り
彼女の話をうんうんと聞き、1日が過ぎていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?