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高学歴は仕事ができない、という幻想

どうも、AKiRAです。

学歴の話です。そして仕事の話です。

タイトルはネットでよく言われていることでして、既にいろいろな人がお話をしていますが、ここでは私の実体験と参考データを紹介し考察できればと思います。

上場企業役員数を見れば明らか

まずは客観的なデータを引用します。

こちらはかの有名な「四季報」からの引用となります。

上位5大学は「慶応」「東大」「早稲田」「京大」「中央」となっております。

これらの大学群は一般的に高学歴とよばれます。

そして上場企業というのは、外部機関からの審査を経て、社会的に認められた企業になります。私自身も上場に立ち会ったことがあるのでその大変さはよく分かります。

もちろん、あえて上場せずにプライベートカンパニーとして経営を続ける会社もありますが、概ね上場企業のほうがより利益をあげているといって差し支えないでしょう。

ちなみに上場する意味は何かと問われれば、資金調達や事業拡大などと言われていますが、もっとも大きな効果は「優秀な人材が入社する」これ一点に限ります。

なぜなら上場した企業≒一定の良い基準をクリアしている≒労働環境がよい、と判断材料の一つとして扱われるからです。

優秀な人材は良い環境にくる。当たり前です。

何故、高学歴は仕事ができないと言われるか

では何故、高学歴は仕事ができないというイメージがあるのでしょうか。

そもそも高学歴とは。議論が平行線になる理由の一つではないでしょうか。

本来の意味では修士課程や博士課程などを指しますが、もっぱら大学機関として世間にインパクトを与える度合いを指しているようです。

しかし育ってきた環境などによっては大学に行くことそれ自体が「優秀」であると認識されることもあるでしょう。

先の話題、上場役員についての記事では東京早慶というトップオブトップが上位を独占していました。

私個人が思う高学歴とは旧帝早慶以上です。これは私が育ってきた環境を基準とした場合になります。人によってはそれこそ大学に行っていれば「高学歴」かもしれません。

有名大学群にはいる方々は学力の審査をうけており、そうじて頭脳労働ができる人、努力ができる人、そのよう方が多く在籍していることでしょう。

そういった優秀な人材と一緒に仕事をしたことがない人が思う高学歴の集団と、社会的に高学歴と呼ばれる集団を比較した場合、そもそも土俵が違う集団間で比較しているので、客観的なデータと異なるのでしょう。

とかく、上場企業役員の出身大学ランキングのデータにある大学群を卒業した人と多く接していないから、都合の良い経験だけをピックアップして「高学歴は仕事ができない」と思い込んでいるのではないでしょうか。

学歴と仕事の出来は相関する

そもそも高学歴な人ほど仕事がなぜできるのか。

それは、圧倒的知識量と継続的な努力に基づくものだと私は考えます。

よく知識を詰め込んだだけで合格できる入試を突破しただけだから頭はよくないという意見も聞きます。

もし知識を詰め込んで東大京大のような大学に合格できるならどんなに楽でしょうか。

そもそも求められる知識量が膨大です。それを覚えるだけでも相当な努力が必要です。

社会に出ても常に知識のアップデートは必須です。

壁にぶち当たったときに何を頼りにするか、それは己の頭にある知識です。その知識をベースとして継続的に課題に取り組む努力。これが問題解決、すなわちタスクの達成ないしは仕事の完了です。

知識労働をする限り、勉強できる人間というのは仕事もできます。なぜなら自ら考えて行動する必要があるからです。勉強は知識を得てそれを元に考えて解答を導く作業です。生徒・学生時代から勉強に真面目に向き合った人ほどこれができます。

そしてこれらを繰り返して得られた結果が学歴になります。高学歴になればなるほど知識と継続的努力は身についているはずです。

もちろん、例外もありますが、やはり知識は正義です。学校で勉強したことはは大人になって社会に出ててもずっと根幹にあるものです。

仕事は人生の総合課題というべきか多面的なアプローチが必要ですが、やはりここでも知識を得ようとすること努力することは大変重要になります。

したがって高学歴な人は総じて仕事ができる傾向が強く、高学歴だけど仕事ができないという集団は大変小さな存在であることでしょう。

今回は以上です。

いつも以上に散文と化していますがご了承ください。

もうすこし学歴の重要性については整理して投稿したいと思います。


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