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【2000字のホラー】傍観推測

一種の感覚異常らしい、と小野は言った。

「指先が、地面につくほど長く感じるの。爪が擦れると痛いからずっとこうしてる」

彼女はいつも両手の指をぴんと斜め前に突き出している。
そんな理由があると初めて聞いた。なんにせよ、周囲が彼女を遠巻きにし出したのはその奇異な癖がきっかけなのだが。

「パソコン普通に打ってるじゃん」
「指先じゃなくて、腹でうまく打ってる。習得まで結構かかったよ」
「…それってさ、実際は長くないって分かってるんだよね?」
「目で見る分には。でも感覚って、人間が簡単に抗えるものじゃないよ。虫刺されをついつい掻いちゃったり、眩しい時に目を細めたりするのと同じ」
「四六時中は無理でも、1分だけ我慢してって言われたら頑張るかな、私」
「人間、3週間続けたことは習慣化して中々抜けないらしいって言うよ」

少なくとも私が出会った半年前から、指をまっすぐ下げる小野を見たことは無い。そもそも彼女とまともに話す機会も今日が初めてだ。わざわざ集団に馴染めない人間と関わりを持つ余裕は無かったし、飲み会の席に彼女は滅多に来なかったし、みんなも呼ばなくなった。

今日の新卒研修終了祝賀会は全員必須参加だったため、小野は離れた場所でちびちびとハイボールを飲んでいた。空いた側の手は机に置いているのに、相変わらず指先だけ力が入って上を向いている。私も数杯ビールを空けた勢いで、彼女に声をかけてみたのだ。もしかしたら配属先が同じになるかもしれないし、もう会わないなら今しか話す機会は無い。

「ちなみにだけど、それっていつから続いてるのかな?」
「聞いてどうするの」
「人間、原因と結果が分かれば行動を変えやすいものかなと思ってさ」
認知療法の類みたいな、という一言はそっと飲み込んだ。

「まあ、そうかもね…」
そう言って小野は、氷の小さくなったハイボールをまた少し舐めた。
言葉を交わす内に小野に抱いていた印象が変わる。こんなにまともな会話ができると正直思っていなかった。様々な噂話が先行しすぎていたのか。

「始まったときは分かるけど、因果関係があるか分からない。だから、あなたが聞いて判断して」

小野が私の目を見た。黒目の際が濃く、美しい瞳だった。

***

指が”長く”なったのは、ちょうど1年くらい前の秋だった。

2歳年上の恋人が先に社会人になって地方に行って、「仕事が忙しい」とすれ違うことが増えた。悲しくて、悔しくて、遣る瀬なくて、でも学生がおいそれと通える距離じゃなかったから、私たちを繋ぐのはSNSだけだった。それも段々返信が遅くなって…よくあるもつれ話だけど、当事者の辛さは量や頻度じゃ図れない。
当時、ほとんど携帯依存症みたいな状態だった。誰と居ても、いつも携帯の通知を待ってた。出先で携帯が震えたらすぐ確認せずには居られなかった。ほとんどは落胆して終わるけど、そこにしか繋がってる実感を求められなかったから。

あの日も、バイト先から帰る途中橋の上で携帯をバッグから出して確認しようとした。でも、去年って急に秋が深まったでしょう?その夜はすっかり冷え込んでて、薄着だった私は手がかじかんでた。

***

「それで、携帯は川にぽちゃん。落としてからずっと指は”長い”まま」

「携帯は見つかったの?」
「ダメだった。そもそも待ちきれなくて、次の日携帯ショップに直行」
「恋人とそのあと連絡は」
「取れたよ。で、その年に普通に振られた」
「…それだけ?」
「そう。でも、携帯に必死に手を伸ばした瞬間に、指は伸びたの」

私の戸惑う顔を尻目に、小野はハイボールだったぬるい液体をまた舐める。

「そんなこと、って顔してる」

何も言い返せなかった。正直、これだけ周りの目を引く癖だ。小野は同期の中でも美人と評判の容姿だったから、とっつきにくさはあったものの陰でよく話題に上る人物だった。そこで繰り広げられた推理合戦と大きくかけ離れた現実に、肩透かしを食らってしまったのだ。

「あなた、自分のことってどのくらい知ってる?」
「えっ?」
「私は人生で、自分の舞台に立った瞬間って思い出せる。嫌なところも知ってるけど、人間だししょうがないなって思う」
「何の話?」
「あなたは自分の舞台に立ったことは?いつも自分に無いものを手元に手繰り寄せて、自分の要らないものを誰かを通してしか見ていない」

突然の切り替えしに頭がついていかない。美しい双眸で私を見つめる小野。その瞳に冗談は浮かんでおらず、憐憫に近い感情が浮かんでいた。

「ごめん、よく分かんないけど…ハイボール、おかわり取ってくるよ」

その場を濁して席を立とうとした私を、彼女の手が掴んだ。

「離して!」
「ちゃんと見なよ、自分を」
「え」

小野の力が強くなる。

「私は話すだけ。あなたが私に聞かせたことを。…ねえ、本当に大丈夫?あなたは今誰なの?」

ごり、と指の爪が天井に押し当てられる感覚。
小野に高くひねりあげられた私の指は、不自然にぴんと突き出ている。


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