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何者かになりたい症候群に見る、私が思う危うさというやつ

※2023年09月28日(木)執筆



何者かになりたい症候群

これにかかっていたんですよね。

今の自分を認めたくない。自分はもっとできるはず。こんなもんじゃない。多くの人に認められたい。

要は、他の人とは違うすごい自分になって注目されて生きたい!

今となっては、「お前はなにを勘違いしとんじゃ」です。

たゆまぬ努力、恵まれた才能や環境、意志、そして運がなければ、世の中のいわゆる成功者というものにはなれないですし、それらの多くは努力だけでなんとか変えられるものでもありません。

あるいは「わたしそこまで求めてません。でもみんなに一目置かれるすごい人になりたいです。」って、一体お前さんは何様なんだい?なぜ自分は選べる立場だと思ってるんだい?とその時の私に言ってやりたいですね。

一週まわって、何者かになる必要ある?別にない。に至りました。

私は何者かになりたい。…んー、私は私なんですよね。

いろいろともがき、いろいろなことを試して自分なりに私を深堀った結果、自分はこう!というしっかりとした土台を現在は築くことができたので、その話をしていこうと思いますがその前に。

まずは、自分もハマった「何者かになりたい症候群に見る危うさ」について書いてみようと思います。

何者かになりたい症候群に見る、私が思う危うさというやつ

他の人とは違うキラキラした自分になりたいという願望は、平凡な生き方に価値を感じなくなっているからです。

承認欲求からきているんだろうな、というのは何となく予想できると思います。SNSの投稿やフォロワーの数を競ったりっていうのも、「他人との比較」ですよね。他人より自分は劣っている、秀でている、という判断をしやすい物差しの一つです。

それには、平凡じゃいけないんですよ。みんなに憧れられなければならないわけですから。

でも、平凡な自分が手っ取り早くキラキラするにはどうしたらいいでしょう。SNSで盛りますね。映えを狙いますね。

自分を偽るんですね。そして、自分の魅力を盛るクセも付きますね。

これは全部、承認欲求という厄介な魔物のせいです。

ちなみに、意識高い系を目指すのも「何者かになりたい症候群」の特徴のひとつかなと思います。他人から一目置かれる、平凡ではない自分になりたいのです。

でもそれ以前に、意識の高い人っていうのはそもそも意識が高いのですから、目指すこと自体違う気がしています。

また、昨今、コスパ・タイパという言葉が巷を行きかっていますが、苦労せず時間をかけず、手っ取り早く何者かになりたい、注目を浴びたい、という現代人の特徴を見事に表していると思います。

故に、SNS上でバズをひたすら狙うために、迷惑系YouTuberや誹謗中傷の書き込み、迷惑行為動画の拡散などがとても増えていますね。

動画を倍速視聴する人も多いと聞きます。ですが、これらの内容がドラマであろうがバラエティであろうが、ニュースだろうが講義だろうが、脳に記憶として残りづらく、理解が浅いままで終わるそうです。

効率よく情報を得る工夫をしているつもりが、結局は十分に理解できないで「ただ見ただけ」という時間の経過のみで終わってしまうわけです。それこそ無駄ですね。

お金の稼ぎ方もそうです。ウマい話には大抵裏があります。裏ではなくマイナス面として自分に返ってくることもあります。パパ活で例えられそうですが、手っ取り早くおじさんから大金をもらえてしまう。その価値観が普通になってしまうと、その子は年齢を重ねてから普通に就職しようとしてもできないでしょう。普通の給料の額では満足できないだろうと予想できるからです。

人生って、そんな簡単に乗りこなせるもんではないと思います。

面倒くささから逃げず、苦労や壁と向きあい経験となる、それの積み重ねなのではないでしょうか。

「ウマくやる」と「ウマい話」は別物です。

続きは以下の記事をご覧ください。

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