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勝敗を考えないYaharong流メンタルコントロール 韓国での挫折から得た武器を手に世界の舞台へ

「プレイに起伏がなく、常に安定している選手」

DetonatioN FocusMe(以下、DFM)に所属する韓国人選手Harpが、同郷のチームメイトYaharongについて語った言葉だ。しかしその安定は、彼が元々備えていたものではなかった。

強豪ひしめく韓国リーグで下位に沈んだ。チーム内でのポジション争いに負けた。スターターから外された。

感情に走りがちだったYaharongが安定を手に入れるまでには、幾多の紆余曲折があった。

少年Yaharongが歩んだプロへの道

Yaharongは小学6年生のときに『リーグ・オブ・レジェンド(以下、LoL)』を始めた。ちょうど韓国で『LoL』のサービスが開始され、人気を博し始めた頃である。韓国式ネットカフェ「PCバン」へ毎日のように通っては『LoL』をプレイし、日に日にゲームの魅力にハマっていった。

そして夢中になるあまり、Yaharongは「プロゲーマーになりたい」という思いを抱き始め、素直に母にその気持ちを打ち明けた。それを聞いた母が決めた3つの約束事。それは、勉強を一定レベルまで頑張ること、運動もちゃんとやること、そして期限を決めて『LoL』のティアを上げることだった。

中学校へ入学したとき、Yaharongのティアはまだシルバーだった。しかし最初の夏休みが終わるまでに1,000戦以上をこなし、ティアをダイヤ1まで上げることに成功。「可能性が見え始めたと思いました。ただ、勉強をおろそかにしてしまったので、母とはしょっちゅう口喧嘩していましたけどね」と当時を振り返る。

中学2年生でチャレンジャーに到達。ただしこのときはまだ、ゼドのみを使う「ワントリックポニー」だったという。このままではプロになれない――そう思ったYaharongは、チャンピオンプールを広げる努力を始める。ほかのチャンピオンを使うとティアが下がるのでそのたびにストレスを感じたが、それでも中学校卒業までには複数チャンピオンをチャレンジャーレベルで使いこなせるようになっていた。

そして高校へ入学。これから始まる高校生活に期待を抱いていたYaharongだったが、ここでひとつ目の転機が訪れる。

入学してすぐにクラスメイトたちから「君って『LoL』が上手で有名だよね。今どんなチャンピオンが強いの?」と声をかけられたのである。だがYaharongはわざと相手を突き放した。「今思えば冷たい態度をとってしまいましたが、あのときはLoLが上手くて有名だからという理由だけで不自然な感じで近づかれるのが嫌でした」と語る。韓国におけるプロゲーマーの卵は、日本におけるアイドルの卵に近い存在だと考えれば周囲の反応もイメージしやすいだろう。

きつい坂道を登って登校しても、学校には友達もいない。「これからプロゲーマーになるなら、ここにいても意味がない」と思ったYaharongは、1週間で高校を自主退学した。「制服代がもったいなかった」と冗談交じりに当時を振り返る。

挫折を味わったプロゲーマー生活

その後はひとりで『LoL』の腕を磨き続け、翌年には韓国の全国地域対抗アマチュア大会「2016 KeG Championship」にてソウルチームとして出場。全16チームが参加するなか、見事優勝を果たした。さらに、インドネシアで開催された「IeSF 8th e-Sports World Championship」にも韓国代表として出場し、金メダルを獲得している。

アマチュアとしての実績を積んだYaharongは、本格的にプロの道を歩むため様々なチームのプロテストを受け、とあるプロチームの練習生になった。ところが熱心なキリスト教徒で毎週日曜に教会に通いたかったYaharongは、そのことで監督と折り合いがつかず短期間でチームを辞めてしまう。幸い、その後すぐに教会に通うことを了承してくれたJin Air Green Wings(以下、Jin Air)に加入し、Yaharongはこのチームで丸3年活動することになる。

Jin Airではチームの待遇は良かったものの、在籍中に「記憶を消したい」と思うほどの大きな挫折を味わった。当時、1部リーグと2部リーグの入れ替え制度を採用していたLCK(韓国リーグ)。1部リーグで下位になってしまったJin Airは、入れ替え戦でも敗北し2部リーグに降格してしまったのである。

「たとえFaker選手のような1流選手にはなれなくても、せめて2流ぐらいまでには到達したいと思っていたのに、どん底に落ちてしまいました。それまでやってきたことがすべて台無しになってしまったような気持ちで、とても悲しかったのを覚えています」

2部リーグでの戦いを余儀なくされたYaharongは、そのまま自身のプロ生活が終わりを迎えるだろうと半ば諦めかけていた。そんな矢先、LCK1部チーム・Fredit BRIONから声がかかった。「運が良かったんだと思いますが、チャンスを与えてもらえてありがたかったですね。その分、一生懸命頑張ろうと思いました」こうして再びLCKの舞台に立てることになった。

しかし強豪チームがひしめくLCKで、チームは下位に沈んだ。チーム内でポジション争いをしていたLavaに追い抜かれ、Yaharongはスターターから外されることに。それでも学ぶことは多かったという。

「僕は自分のせいで負けたら落ち込むタイプだったんですけど、Lava選手は『ごめん、俺が下手だった!』とひとこと言ってすぐ切り替えるタイプだったので、見ていてすごく良いなと思いました」

自分の感情に任せて行動する性格だったYaharongが、メンタルコントロールを意識し始めたのがこの頃だった。

韓国から日本へ、そして初めて世界へ

YaharongはLJL Spring Splitで3回のMVPを獲得

そうしてFredit BRION で1年間を過ごしたYaharongに、ふたつ目の転機が訪れる。日本チーム・DFMからのオファーだ。「それほど選択肢の多くない状況で、DFMは条件も良かったし良い成績が出せるチームだと思ったんです。強豪チームの雰囲気を感じてみたかったこともあり、新しい挑戦だと思ってDFM入りを決めました」

Yaharongの決断は、DFMが日本のチームであったことも少なからず影響している。もともとYaharongは、日本の文化に興味があった。韓国では日本のアニメを見ることは決して珍しくない。子どもの頃は『崖の上のポニョ』のDVDを繰り返し見たという。そのうちちょっとマイナーな日本のアニメ作品にも手を出し始め、日本の音楽も聴くようになった。

DFMでは順調に勝ちを重ね、プレイオフではBo5(3本先取)の長丁場も経験した。そんな中でYaharongは、自らチームを引っ張っていく必要性を感じたという。

「LCKにいたときから常に受け身だった僕が、『LJL(League of Legends Japan League)』に来てからはあれしようこれしようと自分から積極的に言えるようになりました。前より責任感も強くなったような気がします」

優勝インタビューで嬉しそうなYaharong

また、LJLに来てからは、常に上位チームとして君臨することにプレッシャーも感じたという。だからそれを拭い去る訓練をしてきた。負けても落ち込まずにしっかりやっていけるよう、メンタルを安定させるよう、意識し始めたのである。そのおかげもあって、LJLでは楽しくプレイできたという。

プロゲーマーになって初めての国際大会となる今回の「The 2022 Mid-Season Invitational (MSI 2022)」では、「後悔のないプレイをしつつ楽しみたい」と話すYaharong。

「自分に自信があるとか、相手がどうだとか、勝ったらどうなって負けたらどうなるのかとか、そういうことを一切意識しないことがメンタルを安定させる方法だと思うんです」

国際大会でも揺るぎないメンタルで安定したパフォーマンスを出す準備は整っている。

(取材・文 スイニャン)


DetonatioN FocusMeが日本代表として出場する国際大会「The 2022 Mid-Season Invitational (MSI 2022)」は5月10日から韓国・釜山で開催。大会の模様はTwitchにて配信されます。

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