『シンジケート』穂村弘

朝焼けが海からくるぞ歯で開けたコーラで洗えフロントガラス
(穂村弘)


 穂村弘の歌の評及び解説をしてみようとおもう。


上の句から------
 ”朝焼けが海からくる” が情景でそこに ”ぞ” とついて先の情景が気持ちに包まれるような形になる。口語である。
 朝焼けが ”くる” という言い回しもとても好きだ。出る だとただ見ているような感じがするけれど、”くる” だと、太陽とかが意思のあるもののようでリアリティのある動詞になって太陽とかがじぶんと共存していてじぶんに大いに関係のあるもので主人公に食い込んでくる感じ。

下の句------
 ”歯で開けたコーラで洗えフロントガラス”
これは動作と気持ちがつなぎ合わさった構造である。それから比喩を用いている。
 まず、そのうちの動作は ”歯で開けたコーラ” の部分で、
気持ち・気分は ”洗えフロントガラス” の部分である。
 ”歯で開ける” というところにすこし.なげうったみたいなだるそうな.乱暴さとが感じられる。だが上の句の朝焼けにいる情景と下の句の ”洗え” の命令形と ”フロントガラス”(を洗う・洗え)という爽快さと朝、顔を洗うのとをリンクさせるような涼しさの効果に速度や若いエネルギーを読み取る。
ただ、フロントガラスについては、実際に洗っていることが書かれているわけではない。実際に作者や主人公が洗っていても問題はない。だがここではこの句全体のイメージを確立するものとして下の句は存在している。

で、そんなふうにして歯で開ける ”コーラ” もコーラでなければならないなにかがあったはずだ。ジンジャーエールやスプライト、ビール、リンゴジュースではだめだったはずだ。私が考えるのは、炭酸飲料であって、若者を想起させる飲み物で、カタカナで、なおかつ夏らしいもの、ということでここはコーラにするのがぴったりだったのだと思う。(字数のこともふまえて)。もっと言うと、コーラなら色が朝焼けともつながりを持たせることができる。(また、このように飲み物であれば苦さや甘さなど味の特徴も加味した上で選ぶこともあるだろう)。
 (”フロントガラス” についても同様のことが云えよう。)


全体を通して------ みとれてしまうのはまずはじめに、書かれてはいないが一度読んだだけでもこの主人公は、性別は男で年齢は若くて、季節は夏の朝の海辺で車を所有または運転できるというのがまずはじめにほとんどのばあいぱっと想起できて、考えなくてもそのような背景がわかってしまう。それはこの歌のなかの作者(主人公・語り手が作者本人かはわからないが)の言葉の言い回しや動作、でてくる物などを短歌という形のなかで効果的にそれらを敷くことで成功している。
 もうひとつは、この歌は『シンジケート』のスイマーの章の一番最後に在るのだが、一首だけで読んでもわかる歌だということだ。一首で読む場合事細かに背景が浮かんでこなくても、この歌の情景と心理はわかる。

 コーラは瓶コーラかと一瞬おもったが歯で開けられるんだとおもいなおして、いみじくも歯で缶コーラ開けてシュアシュアと爽快でかろやかな粒が沸き上がっておれもあらわれるようだ。
 若いことの身軽さ。期待と、胸にじわじわ沈殿するうまれては消える炭酸の気泡のような気持ち(はっきりしない物事やまだじぶんは何物でもないということ)とすこしのうかつさと、また暑い夏の一日がはじまるんだという僕の・僕らのたったひとつの夏に希望があるという歌。


 (このほかの読み筋があるかたはぜひきかせてください)



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