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【やってみ亭苔流】落語始めました。

9月21日、生駒市の学校に行った時、図書室の司書さんにバッタリお会うたんですわ。
その司書さんが「尾崎さんに話したいことがあったのよ!」と声をかけてくるではありませんか。
聞けば、子どもに落語の本を読み聞かせるにあたって、「自分が落語を知らなあかんと思い、落語を習い始めた」と言うやないですか。

素晴らしい心持ちやと感心してると「で、尾崎さんは絶対落語が合うと思うのよ。滑舌良いし、話うまいし。一緒に頑張りまへんか?」と司書さんが言わはったんでございます。

そりゃ、調子乗りの私としては「え、ほんまですか?」ってな具合に、もう、頭の中で落語している自分がパーっと鮮明に浮かび上がってしもうて。

帰りの車の中では、早速、高座名を考えておりましたわ。

ついでに、私は落語を一度も聞いたこともなければ、観に行ったこともありません。
私の人生で落語にばったり会うということがなかったのでございます。

高座名は「やってみ亭苔流(やってみて、コケる)」にいたしました。
子どもたちに「失敗を恐れるな!」というのであれば、当の私が誰よりも大コケし、その痛みも面白さもリアルタイムで語れないかんと常日頃思ってますねや。

もちろん、高座でコケたくはありまへんが、たとえコケてもその姿が子どもたちの背中を押すことになるんでしたら、本望でございます。

ほんで、「苔流」ちゅう漢字にしたんも意味がありますのや。

転石苔むさず (てんせきこけむさず、英: A rolling stone gathers no moss)

という諺がありましてな。イギリスで生まれた時は「一つの場所に定着せず、常に動き回る人々は、責任や苦労から逃げている」ちゅーネガティブな言葉やったんですが、アメリカに渡った時には「活発に活動している人は、いつまでも古くはならない、新鮮だ」と好意的な言葉になったんですって。

苔を「伝統や歴史」と捉えるもんと、「悪習慣やいらん慣例」と考えるもんとがおるちゅうことですな。

私は経営者、公務員、芸術家を生業にし、千葉県流山市、奈良県生駒市、岡山県西粟倉村に足を突っ込みながら風来坊のように全国で働いております。

職業や生きる場所を軸に見ると、私は苔がつく暇もなく転がり続けるツルツルの石でございます。

どんな生き方でも良い面と悪い面があるもんですし、国、文化、時代、価値観、軸が変われば、見られ方も変わります。

だから、あまり周りに振り回されず自分の生き方を貫き通そうとおもて、この名前にいたしました。

さて、高座名を決めたのは司書さんとお話しした3日後。
ここでもまだ、落語は一度も聞いておりまへん。

次に取り掛かったのは、衣装でございます。
「苔流」なので、苔を連想させる着物が良おござんしょう。
私は着付けができしませんので、「5分で着れる簡単着物」なるものを探し、袴はメルカリで購入いたしました。

袴は深い緑の苔、着物は薄めの苔、帯は流れる川。そして座布団は石。
「やってみ亭苔流」の高座名の横に、苔を纏った私が座っている。
ああ、図書室で話を聞いた時より、鮮明に私が落語をしている様子が浮かび上がってくるではありまへんか。宣材写真は村の森の中やな。苔のついた石の上が最高や!

習字の上手な先生にお願いして高座名を書いてもらいました。
人っ子1人いない森で落語しながら、ひたすら自撮り

よし、では最後に師匠を決めましょ。
条件は二つ。
関西方面にいて、私が通うことができること。
師匠の人間性や人生が魅力的であること。

師匠はすぐに決まりました。
露乃都さん。

日本で女性落語家第一号の方。
偶然にも9月19日の日経新聞に掲載されていたのを読んでいたのであります。

師に『女の落語家なんか一人もおらんぞ』と言われて、『じゃあ私が最初の一人やわ』と思った。

日経新聞より

どんな分野でも、第一号に会える機会などなかなかありまへん。
体験も見学もすっとばして、すぐに半年間の教室に申し込ましてもらいました。

往復4時間、交通費は1万円以上かかりますが、時間もお金も惜しくはありまへん。歴史的な人に直接教わる機会など、またとないチャンスでございます。

ここで、人生で初めて落語を観ました。露乃都師匠の動画でございます。

10月20日に初稽古。初回は単語もほとんどわからないまま、先輩たちの噺を聞き、師匠がアドバイスをする様子をひたすら2時間きく。
たった一言の台詞でも、師匠が喋ると空気が変わる。時代が変わる。居ないはずの人が見える。
おもろい!これが落語か!

全員の噺が終わった後、師匠から「尾崎さん、3月の発表会は“子ほめ”を演じるのはどう?」と言ってもらいました。全く知らない噺でしたので、今、お風呂、夕食中、寝る前にひたすら音読練習中をしております。

ここまで、図書室で司書さんと立ち話してから、ちょうど1ヶ月間の出来事でございます。

さて、なぜ全く興味のなかった落語にこんなにもアグレッシブに行動をおこしたのか?をちょっと考えてみたくなりました。
衝動的に動くものは、必ずそこには理由があるもんでございます。

布団に入って、目を瞑って考えていたら、ふと
「あ、落語って私の苦手なものが詰まってるのか」ってなことに気が付きまして。

新しいこと好きな私は、人様から、じっくりしっかり教わるのは時間がかかるから嫌いですし、古いものに触れるくらいなら、新しいものをつくる時間にあてたい人の真似をするなら誰でもできるさかい、私でなくてもよろしいからやりまへん。

先人に教えを請わずして、古から好まれ続けているものを知らずして、完璧に真似ることなくして、新しいことなどできんちゅーことはわかっちゃいたけど、今まで避け続けてきたんですわ。

でも、40を前にして「このままでは行き詰まるな」となんとなく自分でわかってたんやと思います。

少し成長が鈍っていると感じ始めていた今やからこそ、避け続けてきた苦手分野を、私に残されていた伸び代だと思えて、落語に飛びついたんかもしれまへん。

師匠のもとで、代々受け継がれてきた江戸時代の話を、完璧に真似ることができたら、次はどんな私になれるのか、今から楽しみで仕方がありまへん。

来年は司書さんと図書室で落語の読み聞かせしたいし、キャリア教育落語を作ってみたいなぁ。

成長に支障のあるものは、司書と師匠と共に乗り越えてまいります。
お後がよろしいようで。

露の都師匠と。

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