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【私の夏休み-広島編-】平和記念資料館で核に興味を持った息子の旅。

この夏、どうしても会いたい人と行かなければならない場所があった。
7月の終わり、私は子どもたちと一緒に広島に向かった。
ものすごく暑い日だった。

ずっと、お会いしてお礼を言いたかった人

2021年2月に生駒市で行ったオンライン平和学習。

広島側で協力していただいた方々に一度も直接お礼を伝えられていないことがずっと胸に引っかかっていた。あの期間、コロナ禍で私は広島どころか生駒にも行くことができず、結局、出会いから実施まで、ずっとオンラインだったので、一度もお会いすることができなかった。

会ったこともない私からの、よく分からないお願いを快諾してくださり、一緒にチャレンジをしてくれた広島の皆さんに会いたい。

元五日市小学校の藤原先生

SNSの繋がりから始まり、広島電鉄さんをご紹介してくださり、さらに「広島市の6年生から平和について授業をしてもらいたい」というお願いをさせてもらった。当時勤められていた小学校の校長先生や6年生の先生と調整し、実現してくれた恩人。
お忙しい中、時間をとってくれて、一緒にお好み焼きを食べながら、広島市の小学校の平和教育について色々教えてもらった。

広島電鉄さん

そのあと、被爆電車へのオンライン乗車を実現させてくれた広島電鉄さんの本社へ。オンラインでは何度もやり取りをしていたので、対面しても「初めまして」の感じはせず、プライベートな話から仕事の話までざっくばらんにお話をさせていただいた。
今年もまた授業にご協力いただけそうで、とってもとっても、ありがたい。
※伺ったのが、8月6日の1週間前で、ちょうどこのような企画をされている最中だった。被爆電車のオンライン乗車をアーカイブで視聴できるので、ぜひ。

写真を撮ることを忘れるくらい。会えたことと、お話することで心がいっぱいだった。でも、写真撮っとけば良かったと後悔。。

従弟の家族

全校生徒が折った折り鶴を原爆の子の像に持っていてくれて、平和記念公園のみならず、宮島まで行って360度写真や動画を撮ってくれた広島在住の従弟家族にもお礼を伝えることができた。

ずっと、行かなければならないと思っていた場所

平和記念公園にて

リニューアルした平和記念資料館。
今年も平和教育を先生から相談されている。
私自身がちゃんと五感で感じていないと、本当に意味のある企画ができない。
行かねばならぬ場所。しかし、小学生以来の資料館。怖い記憶しかなく、入る前はかなり覚悟が必要だった。

小5と小3の子どもたちと手を繋いで、入った。

リニューアルした資料館は遺品や手紙、手記、写真など「人」にフォーカスした展示になっていた。

以前のろう人形のような展示はなかったが、それでも血が、筋肉が、内臓が、脳が全部固まって動かないような、息ができないような空間だった。

小3の娘は怖くて早めに展示室の出口へと向かった。娘を座らせた後、息子も途中で固まっているのではないかと急いで戻ったが、小5の息子はゆっくり展示の言葉を読んでいた。
「同い年の子とか、小学生の子の言葉や話は分かりやすかった。でも、やっぱり、えぐい。苦しすぎるから、少し心切り替えさせて」と娘の横に座った。

その後、核兵器についてのパネルや動画展示の部屋に続く。

息子は核兵器のパネルの前から動こうとしなかった。
ジーっと読みながら、「この恐ろしいほどのエネルギーは、良いことに使えないのかな」とつぶやいた。

帰りの車の中で核爆弾や核エネルギーについてインターネットで調べ始め、「核融合と核分裂についてもっと知りたい」と言い出した。

新たな旅のはじまり

物理から核兵器を考える

私は息子の「知りたい」を満たしてくれそうな東工大の大学院で物理学を勉強していた同期に連絡をした。

二つ返事でOKをしてくれて、東京に向かった。

核分裂と核融合の説明

分子、原子、電子、中性子・・・やばい・・わからん。。
これは息子もポカーンとしているのではないかと、チラっと隣を見たら、目を輝かしているではないか。

鈴木さんから色々教えてもらう

「こういうことかな?」「ああいうことかな?」と自分なりに少ない知識で理解しようとしている。

「この世はまだ説明できないことでいっぱい。感覚として分かっていることも、説明できないことが大半。それを説明していくのが物理」「そこに本当に物はあるのか?」という哲学的なコメントや量子力学の話に「鳥肌が立った」という息子。

もうついていけないので、私は黙って座っておくことにした。1時間半も説明をしてくれて、最後に高校物理の参考書をくれた。

全く理解できないらしいが、未来をもらえたみたいで嬉しかったよう。

思わぬプレゼントに歓喜していた。部屋から出る時、「もう少し物理の余韻に浸りたかった」と出るのを渋るくらい感動していた。

ありがとう、もとお。

アートで感じる核爆弾の脅威

私は頭で核を学ぶのが難しかったので、心で感じに行った。

ちょうど銀座で行われていた展示「ヒロシマ」
最新の技術を用いて、核の脅威を次世代に伝えるポスター。

黒い瓦礫なのか灰なのか、足元からすでに異空間。

足元がザクザクする
今、世界にある核兵器の数
メインポスターの展示

恥ずかしいが、正直に言うと、私にはわからなかった。
このアートからメッセージを受け取ることができなかった。

しかし、自分が分からないだけで、子どもたちは何かメッセージを受け取るかもしれない。
授業で活用しても良いという許可も頂いて、展示と同じ大型のポスターを6枚購入した。

広島から始まった核の旅

核エネルギーのことを自由研究に。

村に帰って、息子は早速、「核融合と核分裂を小学生に分かるように説明してみる」という自由研究に取り掛かり始めた。

スーパーボールで表現した自由研究

祖父母のことを思い出し、自分のルーツを振り返る

私は息子の自由研究を見ながら、ふと祖父母のことを思い出した。
祖父は軍人で、祖母は広島出身だった。
小さい頃、祖母から聞いた「偶然にも原爆から逃れることができた話」を今でも鮮明に覚えている。
決して多くは語らなかったが、夏休みに遊びに行くと「戦争はいかん」と祖母は時々つぶやいていた。
祖父は戦争から戻ってきてからの人生が本になっている。高校生くらいの時に一度読んだが、もう一度読みたくなって、母に送ってもらった。

自分が今ここにいることが奇跡のように思えてくる。

過去を知って、未来をつくるとはこういうことか

息子が核爆弾に興味を持った時「なぜ、そんな怖いものに関心を持つのか?」と少し怪訝な顔をしてしまった。
資料館は過去を悲しみ、核兵器を恐れるための場所だと思っていたので、好奇心を持つことに理解が追い付かなかった。

息子は資料館で77年前の同級生に起きた出来事を知り、それを起こした兵器を知り、その仕組みに興味を持ち、核融合と核分裂の面白さを知り、平和利用を考えたい、と今回の旅を締めくくった。

「戦争は恐ろしいもので、絶対にしてはいけないものだと子どもたちに学んでほしい」という目的で旅を始めた私には、「この戦争を未来の平和のために活かせないだろうか」という発想がなかった。
自分の考えが子どもの発想に追いついていなかったことをこの旅で痛感した。

子どもの真っ白で真っすぐな未来への願いは、大人ではつくれない未来をつくりあげるかもしれない。そんな希望を持った夏だった。

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